そんな時に、出かけるのが柴又の帝釈天でした。病院から行きやすかったのと、映画「男はつらいよ」の寅さんのせいで親しみを感じていたからだったと思います。午後にそっと、病院を抜け出し、手術の無事のお礼参りをして、近くのうなぎ屋さんで、お清めの一杯をして帰るのです。
最初は一人で行っていたのですが、そのうち、集中治療室の看護師さんにばれてしまい、彼女たちも連れていくことになりました。なつかしい思い出です。
わざわざ、お礼に出かけていったのは、やはり縁起をかついだのだと思います。どんなに手術の腕を磨いても、その力のおよばないところがあることを感じていただけに、帝釈天の力を借りたかったのです。自力の限界を知っているからこそ、縁起が大事になってくるのです。それは決して悪いことではないと思います。「縁起がいい」と思うことで、気持ちが前向きになります。
ちなみに私はその後、がんを切って治す西洋医学に限界を感じ、ホリスティック医学の道を歩むことになりました。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2021年9月10日号