2021年のドラフトで指名された各球団の新人入団発表が昨年12月に行われた。注目のドラ1ルーキーをはじめ、期待の新人たちがプロ1年目の目標や将来の夢を口にする光景もすっかりおなじみになったが、その一方で、下位指名ながら、のちに球界のトップスターになった選手が入団時に何を語っていたかは、あまり知られていない。あの名選手がプロ入りに際し、どんな抱負や決意を語っていたか、当時の報道をもとに振り返ってみよう。
まず1991年のオリックス4位・イチロー(当時は鈴木一朗)。愛工大名電時代は2年夏にレフト、3年春に投手として甲子園に連続出場したが、いずれも初戦敗退。地元・中日は、投手としては力不足とみて、5位で指名する予定だったそうだが、打者としての素質を見込んだオリックス・三輪田勝利スカウトが4位指名を強硬に主張した結果、先を越されてしまったという話も伝わっている。
ちなみにこの年のオリックスの新人入団発表は12月18日に行われているのだが、当時のスポーツ紙の大阪版を見ても、イチローのコメントは見当たらない。
同年のオリックスは、1位が田口壮、2位・萩原淳も強肩強打の超高校級内野手として注目されていたので、イチローの影が薄くなってしまうのも、無理はなかった。
そんななかで、中日新聞がドラフト会議直後、11月23日付の県内版でイチローのオリックス指名を、大洋7位・山根善伸(新日鉄名古屋)とともに報じている。
「幼いころからプロ野球選手が夢でした。いざ指名されたら不安が先立ちますが」とうれしさと不安の入り混じったコメントを口にしたイチローは「評価してくれるなら野手としてだと思っていました。アベレージ打者の篠塚(利夫)選手を目指します」と未来の輝かしき成功を予感させるような抱負を語っていた。まさに「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」である。
同じ91年に近鉄入団の中村紀洋も、イチロー同様、入団時から自らのイメージを確立し、プロで大きく花開いた一人だ。