91年に近鉄入団の中村紀洋
91年に近鉄入団の中村紀洋

 大阪・渋谷高時代は2年夏に投手兼三塁手として投打にわたる活躍で無名の府立高を甲子園初出場に導くなど、高校通算35本塁打のパンチ力を買われ、近鉄に4位指名された。

 11月30日に契約金4000万円、年俸430万円で仮契約した直後、プロでの目標を聞かれた中村は「ブライアントさんのあの破壊力がいいスね。僕もドームのスピーカーに当ててみたいです」(12月1日付デイリースポーツ大阪)と豪快そのものの抱負を力強く語った。

 その言葉どおり、中村は通算404本塁打の長距離砲に成長したばかりでなく、01年8月22日のオリックス戦で、大阪ドームの天井を直撃する認定ホームランを記録。入団時の夢をそのまま実現した。

 3度の三冠王をはじめ、天才打者の名をほしいままにした落合博満も、プロ入りに際しては、ドラフト外入団の高校生とたった2人の寂しい入団発表だった。

 秋田工時代の71年に春の県大会で2試合連続本塁打を記録した落合は、週刊朝日増刊・夏の甲子園大会特集号にも、地方の逸材の一人として名前が挙げられていたが、右足首を痛めて東洋大を中退し、一時は野球を断念しかけた時期もあった。

 その後、高校時代の恩師の勧めで東芝府中に入社すると、故障も完治し、通算打率.389をマーク。日本選手権予選でバックスクリーン越えの140メートル弾を放つなど、菊地恭一(東芝)とともに「この10年で最強の社会人全日本の3、4番」と評された。

 そんな実績を買われ、78年のドラフトでロッテに3位指名されたときは、25歳を目前にしていたが、プロ入りには前向きだった。

「プロから指名されたことは、どこの球団であれ、非常にうれしい。このまま入団するかどうかについては、これからいろいろな人と相談して決めたいが、プロ野球でのプレーは夢だったし、できれば好意を素直に受け入れたい」(同年11月23日付の秋田魁新報)。

 12月18日の入団発表は、2人が入団拒否するなどの結果、2人だけとなり、新聞の扱いも極めて小さかったが、同9日の仮契約のニュースが翌日の日刊スポーツで大きめに紹介されている。

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落合が口にした“具体的な数字”