清宮に抜かれるまで通算107本塁打で歴代トップだったのが、神港学園の山本大貴だ。

 高校入学後、1年夏から主軸を任され、2年先輩で通算94本塁打の伊藤諒介(法大-大阪ガス)、1年先輩で通算85本塁打の横川駿(立命大-王子)とともに超強力打線を構成した。

 伊藤が10年夏の県大会前の練習試合で中田翔(現巨人)の87本を抜いて歴代トップになったあと、翌11年秋に山本が95本で先輩の記録を塗り替えているが、本人は「1本目も107本目もいつ打ったか正直覚えていない」という。

 同校のグラウンドは両翼が85メートル、中堅が95メートルと狭く、本塁打が出やすい環境だったが、山本は3年春の練習試合で推定飛距離160メートルの場外弾を放つなど、飛ばし屋としての素質は際立っていた。

 3年夏の兵庫県大会、初戦の相手・西宮東は、山本が左打席に立つたびに“秘密兵器”のワンポイント左腕を登板させたが、結果は左前安打と四球、死球で全打席出塁。「左の横手投げは得意なんですよ」とまったく意に介さなかった。

 だが、3試合ノーアーチのまま迎えた5回戦、社戦では、中学時代にバッテリーを組んでいた近本光司(現阪神)に2三振を奪われるなど、3打数3三振1四球と快音が聞かれず、1対2で最後の夏が終わった。

「あれが僕の力です。最後はやっぱり(本塁打を)打ちたかったですね。この悔しさは通過点。(プロは)小さいころからの夢なので、社会人野球で鍛え直します」と雪辱を誓った山本だったが、JR西日本では出場機会に恵まれず、4年で現役引退となった。

 ちなみに先輩の伊藤は、大阪ガス時代の19年秋の日本選手権初Vを手土産に現役を退き、168センチと小柄ながらパンチ力のある横川は、現在王子の主将を務めている。

 高校卒業後、3度にわたってNPB入りを目指したが、夢を実現できずに終わったのが、通算76本塁打の谷田成吾だ。

 中学3年の夏、甲子園に出場した慶応高ナインが高いレベルのプレーを明るい表情で演じている姿に憧れ、埼玉県川口市から越境入学。毎日1時間半かけて通学し、1年時から4番を打った。

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大学でも結果を残すも…