![生活道具を扱うRoundabout/OUTBOUNDの店主・小林和人氏](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/f/3/840mw/img_f3a025381e74e41849fa566cef2179d7109680.jpg)
ただ、いま聞いていて思ったけど、いまの消費者は主権を求めているのかな。当時は、買う側もバブル的な豊かさを疑っていたから、無印を選んだわけでしょう? 第三の消費の時代から30年をへて、いまの消費者は無印にさえ疲れているかもしれない。反体制ブランドが一種の体制になってしまった。
小林:80年代の前半、クリア塗装しただけの無印の鉛筆が売られているのを見て、子どもながらに衝撃を受けた覚えがあります。割れ椎茸を知ったのは後になってからですが。それらは、ひとつの生活態度の表明というか、無駄な工程は省き、これまで廃棄されていたものを「これでいい」とする姿勢で、かつての無印にはそういう強いメッセージ性があったけれど、現在はその劇薬性というのは相対的な意味でもだいぶ薄まってますね。
三浦:話はちょっと変わるけど、自分の部屋をリノベしたとき、最初は無印とか禅的な部屋をある程度イメージしていたのね。ほとんどモノを置かないような。ところが、結局暮らしているうちにどんどん本やものがあふれて、ごちゃごちゃしてきた。拾ってきたものもありますから。でもね、いま、最高に快適なんです。そのごちゃごちゃ感が(笑)。
小林:それって、三浦さんが自分で編んだ物語だからですよね。その物語は現在進行形で、またここから、三浦さんが散歩して見つけたものとか、面白いものを拾ったりするなかでブリコラージュ(寄せ集めて自分で作る)されていって、どんどん変化し続ける。
最初に取り入れようとしていた無印とか禅的なスタイルは、いうなれば既に完結したストーリーだと思うんですけど、いまの三浦さんの居心地がいい部屋の状態っていうのは、置かれてるものそのものが物語の伴走者なんですよね。暮らしという運動を一緒に走って現在進行形の物語を共に編んでいるからこそ、そこに一体感もあるし、快適でいられるっていうことなんじゃないかと。
完全にひとつのスタイルにしてしまうというのは、動かせない物語をただ与えられているだけで、そこに立ち会って関わっている実感だったり自由さは得られない。それが第三の消費と第四の消費の違いなのかも。