西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「携帯電話について」。
* * *
【連絡】ポイント
(1)病院に泊まる時、自宅に電話がなく連絡できなかった
(2)実は携帯電話を持っているが、まず鳴ることがない
(3)そんな私も、携帯電話の威力を感じることがあった
先日、auの携帯電話などがつながらなくなるという事故がありました。私の周辺にも頭を抱える人がいました。いまは誰もが携帯電話を持っていて、生活必需品です。
でも、私が外科医として一歩を踏み出した1962年ごろは、携帯電話どころか、自宅に電話がありませんでした。
そのころは結婚したばかりで、埼玉県和光市に新居を構え、東上線と都電を乗り継いで、文京区にあった東大の分院まで、小1時間かけて通っていました。
「新ちゃん」と呼ばれていた外科医1年生は12人の患者さんを受け持ちます。そして、そのなかから重症の患者さんが出ると、病院に泊まり込むことになるのです。ところが、電話がないので自宅に連絡することができません。患者さんの状態によっては、2泊、3泊することも珍しくありませんでした。やっと、家に帰ると、ちゃんと夕食の支度ができていました。いつ帰るかもわからない夫のために、毎晩、夕食を用意してくれた妻に頭が下がりました。
中西医結合によるがん治療を旗印に病院を開いたのが1982年。中医学を学ぶために、中国での研究会に何度も足を運びましたが、中国の友人からの開催の連絡は、いつも電報でした。電報を頼りに中国まで、よくぞ出かけたものです。
今は会話をしている最中でも、何かわからないことがあると、相手の人がスマホを使ってすぐに調べてくれます。便利なのですが、自分がそれを使うかというと、煩わしい気持ちがします。