撮影:山下裕
撮影:山下裕

 それを聞いた私は、(従来の山下さんの作品とは違うな)と感じた。というのも、これまで山下さんが写してきたインパクトのあるドキュメンタリー写真を目にしてきたからだ。

 改めて話を聞くと、山下さんは12年、インドやバングラデシュを訪れ、大雨で冠水した街を目にしたことがきっかけで環境問題に興味を持つようになったという。

 アジアでドキュメンタリー写真を撮ることを志し、最初に訪れたのは環境汚染が深刻な隣国、中国だった。

 ところが、4年ほど撮影に通ったものの、「作品としては、ぜんぜん撮れなかった」。

「例えば、山西省の炭鉱。撮影するには現地の会社や関係者から許可を得ることが必要ですが、言葉の壁もあって、その道筋が立てられなかった」

 さらに、「以前にドキュメンタリーで撮られたような場所は町中に公安(警察)いた。カメラを出すことも難しかった。そんなこともあって諦めました」。

撮影:山下裕
撮影:山下裕

■インドネシアの作品で受賞

 その後、山下さんは環境問題からは距離を置き、「人柄や写真の撮りやすさ」からインドネシアに目を向けた。

 16年、ジャワ島東部のイジェン火山周辺を訪れ、有毒ガスが噴出する山頂付近で硫黄を採取する様子や、硫黄を溶かして加工する作業現場を撮影した。

 保安装備は何もなく、危険と隣り合わせの仕事。わずかな賃金。出荷された硫黄は化粧品の原料となることを知り、「Cosmetic」と名づけた作品を18年に発表。翌年、三木淳賞を受賞した。

 山下さんがシプタゲラ村を訪れたのはそのころだった。

「最初は、ドキュメント的な視点ではなくて、純粋にこの村が楽しそうだったから行ったんです(笑)」

 そこで偶然、知り合ったのが、技能実習生として日本を訪れたエピンさんとアディさんだった。

「私が泊まった家の息子さんがエピンさん。アディさんは王様の弟なんです。王様の写真を撮りたいと村に言っていたら、アディさんが興味を持ってくれて、向こうから来てくれた」

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