どんなに忙しくても日曜日の礼拝は欠かさない。前日の深夜、部屋にこもって、その日の説教を考える(撮影/横関一浩)
どんなに忙しくても日曜日の礼拝は欠かさない。前日の深夜、部屋にこもって、その日の説教を考える(撮影/横関一浩)

■人を属性で判断せずに必要な支援の仕組みを作る

 奥田にはこんな構想があった。

「この場所を生活困窮者、障害者や高齢者など全世代共生型の地域共生の拠点として再生させた上で、赤の他人が家族のようにお互いに支えあえる場所にしたいんです」

 奥田はこれを「希望のまちプロジェクト」と命名。特筆すべきことはすでに行政、地元住民がその趣旨に賛同し、協議会形式でこの町づくりのプロジェクトに参加することが決まっていることだ。昨今、こうした福祉施設の建設には地域の住民反対運動がつきものだ。地元選出の北九州市議会議員・佐藤茂(62)は、奥田の構想を聞いてすぐ、地元の町内会、自治会など住民参加を取り付けた。反対する者は一人もいなかった。

「民間のディベロッパーが入ってマンションが建っても、場所が場所だけに入居者は本当にこの町は大丈夫か、とまた不安が噴き出すに決まっている。この地域には元構成員も住民としているわけですから、そういうことを含めて共生の町にしなければならない。ここを福祉の砦(とりで)にしようという奥田さんの構想は、地域の住民にも希望が持てる明るい話なんです」

 奥田が率いる「NPO抱樸」は、今や「ホームレス支援団体」の一言では言い表すことができない規模と領域をカバーしている。なぜならば、この32年間、福祉行政が制度の縦割りになっていく中で「人を属性で見ない」にこだわり続け、ひとりの目の前の人間との出会いから、必要な支援の仕組みをゲリラ的に創(つく)ってきたからだ。その結果、「子ども支援」「家族支援」「更生支援」「福祉事業」「介護事業」「居住支援」など、実に27もの事業を実施。奥田がこれまでに関わった官庁は「厚生労働省」「国土交通省」「法務省」と三つの省庁をまたぐ。抱樸のある職員は「うちは福祉の総合商社なんです」と胸を張る。と、同時に今までは目の前で困っている人の命を守る個別支援に特化するあまり、「誰も見捨てない地域」を作るという「まちづくり」の視点が圧倒的に足りなかった。

 奥田を厚労省に呼び、生活困窮者自立支援法の成立に奔走した元厚労事務次官・村木厚子は、この「希望のまちプロジェクト」の顧問を二つ返事で引き受けた。奥田の人柄を、「単に制度や法律を作っておしまいではなく、どうすればそれが社会の中で機能していくかを真剣に考える人」と語る。

「私には霞が関の文化が染み付いていて、ここからここまでが仕事、ここからここまではオフと、自分の時間さえ割り切りたくなる。けど、奥田さんは違う。寝ても覚めても、ずっと、本気で社会をどうすればいいか考え続けている人なんです」

 それにしても奥田は、どのようにして土地の購入代金を工面しようとしているのか。尋ねると寄付で集めるとしながらも、全くのノープランだとあっさり笑う。

 大学生の頃からの同志で、奥田の最大の理解者でもある妻・伴子(56)は、抱樸に関わる全ての人に「お母さん」として慕われている。「また、お金を集めなくてはいけませんね?」と声をかけると、伴子は半ばあきれ顔でこう口を開いた。

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