大晦日。徹夜でおせち作りに精を出す伴侶、伴子に代わって、奥田が台所に立ち、年越しそばを食べるのが奥田家の習わし。小倉名物の炒めた牛肉と玉ねぎがたっぷりのった蕎麦を振る舞う(撮影/横関一浩)
大晦日。徹夜でおせち作りに精を出す伴侶、伴子に代わって、奥田が台所に立ち、年越しそばを食べるのが奥田家の習わし。小倉名物の炒めた牛肉と玉ねぎがたっぷりのった蕎麦を振る舞う(撮影/横関一浩)

■ヤクザの事務所跡地を抱樸が購入することに

 それにもかかわらず、奥田が極端な自己否定に走らなかったのはなぜか。当時の釜ケ崎には70年代の学生運動の残滓(ざんし)が「闘争」という名のもとに影を落としていた。資本と労働、権力と民衆、加害と被害。極めてステレオタイプの二項対立を信じる者も多かった。

「中学2年生の時、クリスチャンになると父に伝えたら、『お前の人生だ、お前が決めなさい。しかし、いったん決めたのなら最後まで責任を持ちなさい』と送り出してくれた。仕事が忙しく家にはいなかったけれど、年に数回の休みには必ず家族旅行に連れて行ってくれた。確かに父は資本側の人間だったかもしれないけど、人間の人生はそんな単純な二項対立では語れない」

 そして奥田はこう続ける。

「それでも、いわば資本の申し子のような私をカマの人々は受け入れてくれました。赦されたと思いました。それは彼らの優しさであると同時にたくましさなんです。ある面、彼らは被害者ですが、生きるためであれば何だってする。どうしようもなく、手を焼くこともありますが、それでもなお、生きようとする姿に励まされてきました」

 その一方で、路上で死んでゆく野宿者を前に信仰は揺らいだ。「神はどこにいるのか?」。絶望的な現実は「神不在」の証明だった。絶望は怒りに転化した。労働者とデモに参加し、襲いかかる機動隊に怒りをぶつけたこともある。釜ケ崎に入り浸る生活は、大学院修了まで6年続いた。そして奥田の人生が決定づけられる瞬間がやってくる。

「カマの現実を見れば見るほど、神などいないと客観的に語る余裕なんてないと思ったんです。答えは一つ。神はいてもらわないと困る。どこにかはわからないが、おられる、と信じるしかない。傲慢かもしれないが、人々と一緒に意地でも見つけてやろうと思いました」

 そして90年、奥田は現在の東八幡キリスト教会に赴任。新天地の北九州での生活が始まる。そして、32年間で3400人の路上生活者を自立に導き、のべ13万人もの身の上相談にも乗ってきた。その活動は、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも取り上げられた。

 困窮者支援の集大成として、奥田が今、取り組もうとしていることがある。北九州の玄関口「小倉駅」から車で10分。たどり着いた「神岳」地区は、昔ながらの団地やアパートが点在する住宅地。

 ここに、特定危険指定暴力団「工藤会」の本部事務所跡地がある。地元でこの九州最大規模のヤクザを知らない者はない。現在はトップ3が逮捕され、組織は事実上、解体に追い込まれている。

 一昨年、北九州市はこの土地を差し押さえ、建物は解体。更地となった跡地は公売にかけられ、民間企業が1億円程度で購入。跡地利用が話題になっていた。この話をニュースで知った奥田は、すぐさま北九州市の担当者に連絡をとり、その土地を購入した民間企業と面会。話し合いの末に、その土地を抱樸が購入することに決めたのだ。

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