恒例の新年会での一問一答。今年の抱負を参加者に聞く。東京で福祉の勉強をする次男・時生の姿はなかったが、昔から奥田家の正月は、過去に一緒に生活したお兄ちゃん、お姉ちゃん、おっちゃんが帰ってくる特別な日だったという(撮影/横関一浩)
恒例の新年会での一問一答。今年の抱負を参加者に聞く。東京で福祉の勉強をする次男・時生の姿はなかったが、昔から奥田家の正月は、過去に一緒に生活したお兄ちゃん、お姉ちゃん、おっちゃんが帰ってくる特別な日だったという(撮影/横関一浩)

 夜が更けるにつれて一升瓶が次々と空になる。酔いも手伝って、ケンカが始まる。周囲がそれを止めに入って一件落着となるのもお約束だ。飲みすぎて吐く者もいる。酒が進めば皆が語り始める。いつしか、去年、交通事故で亡くなった仲間の話題になった。ここでは「支援する者」と「支援される者」の垣根はない。大勢の、最初は見ず知らずの他人が、一人の人間の人生をまるで一つの物語を語るように共有し、泣き、笑う。

 奥田は家族は記憶の装置だと話す。そして「出会いから看取りまで」を信念に、無我夢中で走り続けてきた32年は、「家族機能の社会化」に奔走した日々だったと振り返る。

「バブル崩壊後、経済の縮小によって非正規雇用や失業者、単身一人世帯などが増加。それに伴い従来、家族が担っていた子育て介護、見守りや看取りなどの機能が失われてしまいました。それを回復しなければならない。私に言わせれば、それは赤の他人となんちゃって家族になればいいということ。それも絆の質ではなく量を重視して、なるべく大勢の人と出会い、家族として繋がる仕組みを作ってきました」

 確かにホームレスの自立支援を促す法律の整備も手伝って、全国的に路上生活者は見当たらなくなった。けれども、この30年、奥田が見てきた貧困の連鎖や無縁状態の人々の姿は、今や社会全体の様々な場所で拡大し常態化しつつある。奥田の言葉を借りるならば「社会が路上に追いついた」のだ。

 奥田の出身は滋賀県大津市だ。家族はキリスト教とは無縁。母方の祖父は神主だった。小学生の頃、友人に誘われ教会学校へ。そこで、現在、国際弁護士として活躍する平野惠稔(しげとし 56)と出会う。

「中学時代、奥田は風貌(ふうぼう)も同い年にしては大人っぽく、いわゆる“ワル”の連中からも一目置かれていました。サービス精神が豊富な、冷静なリーダータイプ。サッカー部のキャプテンもしましたし、教会では2人でバンドを結成してローリング・ストーンズや憂歌団を大音量で弾いてました」

 この教会の牧師やクリスチャンとの出会いが、奥田にとって初めての家以外の居場所、まさに「ホーム」となる。

 実は奥田にはコンプレックスがあった。後に超難関の京都大学法学部を受験し、現役で司法試験に合格する超エリートの平野とは対照的に、奥田は仲間内では一人だけ高校入試に失敗。県立の進学校ではなくクリスチャンでありながら仏教系の私立高校へ行くことになる。また大学受験の際も志望校への入学は叶わず関西学院大学神学部へ進む。別にこの時点で牧師になろうとは思っていなかった。単なる滑り止めだった。

「この頃の私の人生は思うようにならなかった。勉強ができない自分が許せなかったし、どこかで孤独を感じていました」(奥田)

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