■札幌味噌ラーメンの名店「すみれ」で修行して18年、独立を決意
東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅の近くに昨年オープンした、札幌味噌ラーメンの名店「三ん寅(さんとら)」は、都心ではなかなか味わえない本格的な一杯を提供する。今年の年末に発表される賞レースにも顔を出すことは間違いない、ブレイク必至の店だ。
店主の菅原章之さん(46)は札幌で生まれた。幼少期からラーメン好きの父親に連れられ、味噌ラーメンの元祖「味の三平」の弟子が独立した「味の利平」に通っていた。少し薄めの味噌味で、表面に浮かぶラードのおかげで最後までアツアツなのが特徴だ。だが、まだ幼かった菅原少年は味が薄いと感じ、醤油を入れて食べていたという。
社会人になって、営業職の仕事に就いた菅原さんは、営業の合間に各地で食べ歩きを始め、気が付けば年間300軒ほどのラーメン店を回っていた。食べ歩きを続けるなかで、20歳の時、衝撃の一杯に出会う。「すみれ」の味噌ラーメンである。今まで食べたことがないぐらい熱くて濃い味噌ラーメン。一度食べたら頭から離れなくなった。
「すみれ」だけでは飽き足らず、店主の出身店である「彩未」「狼スープ」「やぶれかぶれ」の“すみれ三銃士”にも通いつめた。あまりの「すみれ」愛に、飲食店をやっている友人たちは「ラーメン屋になった方がいい」と勧めてくるようになった。
「すみれ」は働き手を募集していなかったが、菅原さんの中ではここ以外はあり得ないと、修行ができないか頼み込んだ。アルバイトからのスタートになると言われたが、それでも構わないと「すみれ」に飛び込んだ。こうして菅原さんのラーメン職人としての人生が始まる。27歳の時だった。
この頃の「すみれ」はラー博にも出店したばかりで、人気が急上昇していた。修行は洗い場や仕込みの補助から始まったが、アルバイトは厨房には一切入れなかった。先輩の仕事ぶりに追いつけそうになく、一生洗い場をやることになるのではないかと不安になったという。1年ほど経つと社員に採用され、じきにチャーハンや餃子を作らせてもらうようになる。
そんなある日、社長の村中伸宜(のぶよし)さん(62)に呼び出され、抜き打ちテストが行われた。「すみれ」ではラーメン作りは教えてもらえない。先輩の手さばきを見て学ばなくてはならないのだ。仕込み前の朝4時からラーメン作りを練習していた菅原さんはその腕を社長に認められ、29歳で本店の店長に抜擢される。
本店の店長を務めて半年後、「すみれ」は多店舗展開に乗り出す。その後の8年間、菅原さんはラー博、京都、ラゾーナ川崎、池袋東武百貨店内と店舗の立ち上げに携わった。もともと北海道での独立を考えていたが、この時都心で店をやる夢が頭によぎった。