「独立して『すみれ』の味を広げたいという思いとともに、都心で店を出したらどれだけ評価されるんだろうというワクワク感が湧いてきたんです」(菅原さん)
2019年に「すみれ」がラー博を卒業するタイミングで、菅原さんも「すみれ」を卒業し、独立を果たす。菅原さんが修行を始めてから18年が経過していた。場所はラー博から近い横浜で考えていたが、物件が見つからず、江戸川橋に決めた。こうして19年10月、「三ん寅」はオープンした。
オープンに際して、村中社長から「すみれ」の名前が入った暖簾が届けられた。さらに、「すみれ」の前身の店を創業した、村中社長の母・明子さんからも、「三ん寅」の屋号が入った暖簾が贈られたという。
「暖簾分けではありませんが、社長の優しさですよね。事前の連絡なしに、いきなり送られてきたんです。“すみれ”の名前を毎日見るたびに、気が引き締まります」
かつての修行先との縁を感じさせるのは、暖簾だけではない。
3月生まれで寅年だった菅原さんは、当初店名を「三ツ寅」とする予定だった。だが、店名を村中社長に報告すると、「カッコつけすぎじゃないか」と笑われた。
「次に社長に会ったときに、『店の名前は、サントラだったか?』と間違えられたんです。でも、その響きが良いなと思って店の名前を変えることにしました」(菅原さん)
不思議なことに字画を調べると運勢も最高に良かったという。
札幌味噌ラーメンの最高峰「すみれ」で18年間腕を振るった菅原さんが紡ぐ極上の味噌ラーメン。「すみれ」出身の店は、山手線の内側には「三ん寅」だけである。貴重な一杯だ。
「星印」の沖崎さんは、同じ名店出身の店主として菅原さんを尊敬している。
「ラー博ではいつも売り上げで勝てず、ライバルだと思っていました。『すみれ』の修行についていくガッツに感心しています。『三ん寅』のラーメンは『すみれ』愛を感じるんです。村中社長へのリスペクトがこもった一杯だと思います」(沖崎さん)
菅原さんも沖崎さんのラーメンに一目置いている。
「沖崎さんとはラー博時代からもう12年の付き合いです。彼に会うまでは他の店の人とはあまり付き合いませんでしたが、これを機に交流が生まれました。沖崎さんは口数少ない一匹狼に見えますが、打ちとけると意外と人懐っこい。経験豊富ですし、知識もあって、ラーメンの引き出しも多い。流行りに流されず、いつ食べても素朴で美味しい、沖崎さんらしいラーメンを作られてますね」(菅原さん)
厳しい師匠の下で修行して独立した二人。そこで学んだたくさんのものを自分なりに消化して、さらに進化させた。その姿にラーメンの歴史が長く繋がっていることを感じる。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
※AERAオンライン限定記事
※文中に登場する店舗において、営業自粛や営業時間の変更が行われている場合があります