「企業も国家もNPOも、資金を動かすフローは同じ。そうなると、そのスケールで資金を動かした経験があり、本当の意味で公益性を重んじる絢さんのような人材が必ず日本にも必要となる。社会の底辺ではなく上辺にいながら、国家権力に理不尽に叩かれた経験は、必ず人間を鍛え、他人に優しくなると信じています」

 村上絢には非常な繊細さと、ふてぶてしいまでの大胆さが共存していて、劇的に化ける気配が充満している。その全身に漲っているのは投資家としての意地だ。この意地は、あと数年もすれば未来を背負って立つ圧倒的な自信を醸成してゆくだろう。人生の本当の檜舞台はそこから始まる。

(文中敬称略)

■むらかみ・あや
1988年 横浜生まれ。読み仮名2文字で画数のいい「絢」と母が命名。
 91年 南アフリカにある日本大使館の1等書記官として赴任した父・村上世彰と共に、アパルトヘイト(人種隔離)政策下の南アフリカへ。
 96年 小学3年生の時、東京都内にあるカトリック系の小中一貫の女子校に編入する。中学時代は勉強が大嫌い。母や学校の先生を困らせた。
2003年 日本を離れスイスにある寄宿学校(インターナショナル校)に留学。ここで語学をマスターする。
 06年 父が証券取引法のインサイダー取引容疑で逮捕、起訴される。
 07年 慶應義塾大学法学部政治学科に入学、2011年に卒業し、モルガン・スタンレー証券会社債券部に勤務する。
 13年 父が立ち上げた投資会社「C&I Holdings」の代表取締役に就任。株式投資を通じて日本の上場企業におけるコーポレートガバナンスを訴える活動を開始。
 15年 金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で、自宅が証券取引等監視委員会によって強制調査される。連日の調査のストレスで体調を崩し、妊娠していた第2子を死産してしまう。
 16年 より幅の広い社会貢献活動を目指し、父が創設者となり村上財団を設立、代表理事に就任。
 18年 5月、ロサンゼルスで開催されたアメリカ最大の経済関係国際会議であるミルケン会議にパネリストとして登壇し、現在日本が抱える内部留保について問題提起した。11月、文京区ではじめた「こども宅食」の全国化を目指す一般社団法人こども宅食応援団の理事に就任。

■中原一歩
1977年、佐賀県生まれ。ノンフィクションライター。本欄では、二階堂ふみ(女優)、奥田愛基(SEALDs創設メンバー)などを執筆。著書に『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』など。

AERA 2019年11月11日号

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