■大学生で東ティモールへ、井戸水シャワーの生活体験

 翌年、慶應義塾大学法学部政治学科に入学。何もかも自由なスイスの高校と比べると、大学生活は退屈だった。逮捕された父の裁判が始まると、絢はその全ての裁判を傍聴した。父が何をしようとしたのか。何が間違っていたのか。絢は初めて知ることになる。大学で「あれ、村上ファンドの娘じゃない」と陰口を叩かれたこともあった。その後、絢はある人物の招きで東南アジアの小国「東ティモール」を訪れることになる。その人物は人道支援、災害支援のエキスパートとして知られる国際協力NGOピースウィンズ・ジャパン代表理事兼統括責任者の大西健丞(52)だ。08年、大西は世界各地での災害支援の経験を活かし、いずれ必ず直面する日本国内での大規模災害に即応するNGOの集合体(現・公益社団法人「シビックフォース」)の実現に奔走していた。その最中、世彰を通じて出会ったのが絢だった。第一印象は「素直で嫌味がないインディペンデントな女性」。NGOの現場が見てみたいと言う絢に、大西は特別扱いしないという約束を交わし、東ティモールへ。絢は野生のコーヒーが茂る山岳地帯の農村で、初めて井戸水のシャワーや大地に穴を掘っただけのトイレという生活を体験する。

 当時、日本社会では「社会的起業家(ソーシャル・アントレプレナー)」がブームになっていた。06年、バングラデシュにあるグラミン銀行の創設者であり経営者のムハマド・ユヌスが、ノーベル平和賞を受賞したことがきっかけだった。ところが、この時、絢は社会貢献の道を選ぶことはしなかった。それはなぜか。

「NGOの活動を間近で体験して、社会貢献を通じて社会にインパクトを与えるのは大変なことだと思いました。とくに資金調達の分野は寄付文化のない日本では難し
い。この時は、まずは投資家になり、将来的に何かできることがあればその時やってみようと思うに留まったのです」

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