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子どもの頃から、家族が集まるとお金の話をしていた。父は村上世彰。娘の村上絢が投資家になるのも、当然だったかもしれない。結婚し、子どもも生まれ、公私ともに順調だった。しかし、父の強制調査に巻き込まれ、これまでにない悲しみを経験することに。その暗闇の中で思ったのは、誰かを責めるのではなく、社会で課題を抱える人を支えたい。社会貢献のための投資が始まった。
アジアの経済の雄・シンガポール。この国に生活の拠点を置く投資家・村上絢(31)の朝は早い。毎朝起床は6時。お弁当を作り、2人の子どもたちを幼稚園に送り出す。一息つけるのが7時。ここから部屋に移動してニュースやメールのチェックをする。絢が手がけるのは9割、日本株だ。時差の関係で、日本のマーケットが開く午前9時は、シンガポールの午前8時。そこからマーケットが開いている間、絢はパソコンの前を離れない。昼食もデリバリーで済ますことが多い。投資家の日常は意外と地味なのだ。
「全盛期の父は、企業の株を買って、買って、買いまくることをしなければ経営者に、健全な経営を促すことができない時代でした。けれども、今ではガバナンスの遵守は当たり前です。ただ、変わりたいけれども変わる手法が分からないというのが経営者の本音。変革したいけれども、自らの力では変革できない割安の会社を見つけて投資するのが私の流儀です」
この父というのが、かつて「村上ファンド」の名で日本社会を席巻した村上世彰(60)だ。大株主となった企業に対し厳しい態度で経営の変革を迫る「物言う株主」として恐れられた。しかし、2006年、世彰はインサイダー情報を元にニッポン放送株を買い増した証券取引法違反の罪で東京地検特捜部に逮捕、起訴される。そして11年、最高裁で懲役2年、執行猶予3年の有罪判決が確定する。世彰は活動の拠点をシンガポールに移し、その後の動向はしばらく謎めいていた。現在は投資家から資金を預かり運用するファンドマネジャー業からは一切手を引き、個人投資家として活動している。