小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、小説『幸せな結婚』(新潮社)、対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、小説『幸せな結婚』(新潮社)、対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)
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■私には世界がどう見えたか

 3歳まで、私は他の子どもを知りませんでした。父の転勤先のオーストラリア・パースで生まれ、周囲に日本人がほとんど住んでいない環境で、街に出るとき以外は両親と9歳年上の姉と飼い犬とだけ接触して過ごしていたのです。あとは両親が出かける時にやってくるベビーシッターと。

 ですから長いこと、自分は神様に選ばれた特別な子だと思っていました。友達という他者を持たなかった私は自分を相対化するすべがなく、ただでさえ万能感に溢れている幼少期に、自分と世界との境目も曖昧なままに、この世に唯一の子どものような心持ちで暮らしていたのです。

 当時の記憶は断片的で、前後のつながりもはっきりしないものがほとんどです。ただ自分で「ああ、今日から今の始まりなんだ」と思ったシーンは鮮やかに覚えています。両親の寝室で、化繊のキルティングのシュルシュルと冷たい織地のベッドカバーに座りながら(それには薄い水色の小花が描かれていました)、正面の窓から射す朝日を浴びているのです。そして「ええと昨日はどこに遊びに行ったんだっけ、そうだ滝を見に行ったんだ」と家族とのドライブ旅行を思い出している。同時に、いま現在陽を浴びている自分に今日という未知の時間が確実に用意されていることを知って、とても満ち足りた気持ちでいるのです。

 ずいぶん長い間、この記憶は前の人生を終えて今生にスリップした瞬間だと思っていました。そんなわけはないのですが、すでに生きるということを自分は知っているはずなんだが、というような妙な既視感があって、やがてそれは寝起きの頭の霧が晴れるように、長じるに従って薄らいでいきました。

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小島慶子

小島慶子

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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