死んだ人目線、と私は呼んでいるのですが、こんな風にまるで自分がとっくにこの世を離れてしまっていて、懐かしいあの景色を眺めに戻ってきたかのような気持ちになることは今でもよくあります。

 幼稚園に上がる少し前、団地から東京郊外の新興住宅地の一戸建てに引っ越しました。多摩丘陵を切り開いて作った造成地で、まだ空き地の方が目立つぐらいの新しい街。ここで私は初めて他の子どもたちと出会いました。自宅のすぐ前にある幼稚園に通う近所の子たちです。彼らはすでに知り合い同士で、後から参入する私は新参者として守るべきルールがいくつかあったはずですが、まだそのような暗黙のルールを読む力はなく、手探りで仲間に入る感じでした。

 当然ながら人気者や意地悪な仕切り屋さんやそれなりの人間関係があり、楽しい時もあれば居心地の悪い時もあって、遅まきながら子ども社会にデビューした私としてはなかなか大変だったはずです。この当時の言動が突拍子もないものだったのか、そうでないのかはわかりません。ただ、3歳を過ぎるまで他の子どもを知らずにいたため、気づけば誰かと友達になっているという体験をしておらず不慣れであったし、生来の自意識過剰に加えて、友達というものに対する過剰な期待や不安のために過敏になっていたことは確かです。

 さらに不運だったのは、両親ともに人間関係が器用ではなく、良きモデルが身近になかったことです。特に密接に関わっていた母は幼少時にいじめにあうなどして過酷な生い立ちであったため、かなり被害妄想的な人間観の持ち主でした。その結果私は、ただでさえどのようにして子ども社会に入っていけばいいかわからず戸惑っているところに「友達なんてあてにならないものだ」と繰り返し聞かされ、他人の表情や言葉をどのように解釈すれば良いのか、初期の段階でかなり混乱することとなりました。

暮らしとモノ班 for promotion
大型セールAmazonプライム感謝祭は10/19(土)・20(日)開催!先行セール、目玉商品をご紹介
次のページ