私の対人不安が完全になくなるのには、およそ30年ほどかかりました。子どもを産んで我が子と一から関係を築く経験をし、相手の心の動きや要求を読む力が鍛えられたのと同時に、我が身にはもともと割と性能のいい読解機能が備わっていることに気がついたからです。ただし、やはり他者が自分に対して抱く好意に関しては未だ心もとなく、どこかで自分なぞ誰にも好かれるはずはないと思っている節はあります。幼少時に抱えた強い不安の残滓と言いましょうか、認知の歪みではあるのですが、ある種の癖のようなものかもしれません。

 それにしても、こうまで人間関係に不安の強かった私の息子が二人とも実におおらかで、環境が変わってもすぐに友達を作ることができるのは実に不思議です。0歳から保育園に通ったことも大きかったのかもしれません。私としては彼らに「世界を疑え」というメッセージではなく「世界は君を歓迎している」というメッセージを与え続けてきた自覚はあるので、もしかしたらそれも奏功しているのかも。不信を植え付けるよりは信頼を築く手助けをする方が、結果として子どもを強くしなやかにするのではないかと思います。

■神様との蜜月の終わり

 さて、そんな子ども社会へのデビューと対人不安の高まりの中で、私はある日唐突に、自分が世界に唯一の子どもではないことを発見しました。確かあれはリビングの、牛の毛皮の敷いてあるあたりに立っていた時、ああ、私はこの世に一人の神様の特別な子どもじゃないんだ、他にもいっぱい子どもがいるんだ、と気がついてしまったのです。体にぴったりとまとわりついていた全能感がスカスカになって剥がれ落ちていくような心もとなさを覚えました。

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