疳の強い子どもであったのは自覚しています。もっとも早い段階のもので覚えているのは映画館でイカの出てくる映画を見ている時に退屈で外に出たくて泣き喚いたこと、レストランで泣きながら椅子ごとひっくり返って一家で店を出たこと。9歳年上の姉を始め、家族はさぞ困っていたことでしょう。しかし不快感を覚えるとどうしても我慢することができず、とにかくその状況から逃れたくて泣いたり声をあげたりしてしまうのです。

 その衝動は抑え難いもので、感情的というよりは生理的な要求として、不快感を表明せずにはいられません。しかし変に周囲はよく見えており、2~3歳だったはずですがイカの映像はくっきりと記憶に残っているし、レストランを出る時に周囲の客が冷たい眼差しで見ているのも、家族が私の存在にほとほとうんざりしているのもはっきりと感じられました。けれど「だから大人しくしていよう」とはならない。とにかく不快なものに対する耐性が極めて低いのは、今もさほど変わらないかもしれません。ただより穏便な対処の仕方を年齢とともに身につけたというに過ぎません。

 その不快の感じ方というのも「なんか嫌だなあ」という程度ではなく、徹頭徹尾嫌なのです。どこがどう嫌なのか、余すところなく言葉にしてみないと気が済まず、分析に分析を重ね、そのことばかり考え続けて数日間他のことが考えられなくなり、そして考え尽くしたら急速に忘れてしまいます。実際、うんと嫌いだった人も早ければ数ヶ月ですっかり忘れてしまい、なんとか嫌いであったことを思い出しても具体的なエピソードは思い出せなかったりするのです。このことに限らず、何事も上書きされると驚くほどの速さで記憶の倉庫からも廃棄されてしまうようです。ストレージが小さいというか、常に現在と、身体化された記憶しかないので、データで取り出そうとすると非常に困難です。幼い頃はそのように徹底して言語化する能力がなかったので、泣いたりぐずったりしてなんとかその状況を変えようとしたのかもしれません。

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