(写真/山本倫子)

「役者はやっぱり『自分自身を使う』ことが素晴らしいんです。この役になろう、こういう感情をみせようと嘘をかぶせてしまうより、そのほうが観客に本物を届けられる。彼があの年でそれを持っていたのはやはり才能だと思いますよ」

 さらにラッキーだったのはそれが「ラスト サムライ」だったことだ。

「彼の演技は世界に通じるものだと、あの作品であらためて思いました。あのときの経験が彼にとって何かひとつの自信とバネになってくれていれば嬉しい。その後のご活躍も素晴らしいですし、これからもずっと応援していきたいと心から思っているんです」

 池松も振り返る。

「『ラスト サムライ』の現場で本気でものを作る人たちに触れて、抱えきれないほどの影響を受けました。映画という場所に自分が惹(ひ)かれている、っていうことはもう十分にわかっていた」 

 福岡に戻ってからは学業と野球を優先に、年に1、2本ほど映画やドラマに出演する。高校3年でいよいよ「俳優をやる」決意が固まった。

「それまで野球があったけど、それも終わる。もう自分にはこれしかないんじゃないかと」

 日本大学芸術学部映画学科の監督コースに進んだのは「自分が入っていこうとする世界を相対的に見たかったから」だ。4年間、主に映画館やレンタルビデオ店を学びの場に映画をむさぼるように観た。そして出会ったのが石井裕也の作品だ。ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞した「剥き出しにっぽん」をはじめ、商業映画デビュー前の作品も観まくり「自分が会うべきはこの人だ、とビビッとくるものがあった」と池松は言う。

 いっぽうの石井も池松の存在に気づいていた。20歳の池松が出演したNHKの終戦特集ドラマ「15歳の志願兵」。一目で輝くものを感じ、まず自身の映画のコメントを依頼。さらにWOWOWのドラマ「エンドロール~伝説の父~」出演をオファー。それをきっかけに交流が始まった。互いの家が近いこともあり、毎日のように連絡を取り合い、フットサルをし、居酒屋で社会について考える仲になった。そして映画「ぼくたちの家族」のキャストに池松を抜擢(ばってき)する。

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感情が変われば呼吸も体温も変わる