現役時代は「G.G.佐藤」の名で活躍した佐藤隆彦さん(撮影・平尾類)
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「G.G.佐藤」として日本のプロ野球西武などで活躍し、北京五輪にも出場した佐藤隆彦さん(45)。2008年オールスターのファン投票では1位の票数を獲得するなど、実力と人気を兼ね備えた選手だったが、36歳で引退し、父親が社長を務める大手の地盤調査会社に入社。野球とはまったく関係のない世界で一営業マンから出発し、2021年からは副社長を務めるまでに。それも昨年8月いっぱいで退社した。副社長のイスを捨ててでも会社を辞めた理由は何だったのだろうか。【前編】では無名のアマチュア時代、野球人生での転機、その後のセカンドキャリアなどについて語ってもらった。

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――まずは野球人生について。振り返ると、法政大の時は補欠だったんですよね。

 そうです。大学時代は公式戦で1本しか本塁打を打っていません。高校時代の桐蔭学園(横浜市)でも、主将でしたけど本塁打は3本だけ。無名中の無名でした。学生時代を知る人は僕がプロ野球選手になるなんてだれも想像していない(笑)。

シュワルツェネッガーのポスターを

――無名のアマチュア選手が覚醒する転機は何だったのでしょうか。

 大学時代に肉体改造で体を大きくしたのが分岐点でしたね。体重を30キロ増やして100キロを超えました。当時監督だった山中正竹さんが選手の考えを否定せず、個性を大事にする指導方針だったので救われました。筋肉をどうしたら大きくできるのか情報が入ってこない時代だったので、武蔵小杉(川崎市)のTSUTAYAでボディービルの雑誌を買って、筋肉ムキムキのアーノルド・シュワルツェネッガーのポスターを部屋中に貼りまくりました。目からの刺激ですね(笑)。

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