――生活スタイルや野球への意識は変わりましたか。

 飯を3時間おきに食べなければいけないので、夜中に目覚ましをかけて起きて、卵2個とプロテインを食べる生活を繰り返していました。今でこそ大谷翔平選手がやっていますけど、26年前は筋トレをガンガンする選手がいなかった。「やめたほうがいいよ」と多くの人に言われましたが、人が望む姿でなく、自分が望む姿になろうと。人生のスイッチが入りましたね。まだイチローさんが米国でプレーする前だったので、野手で日本人初のメジャーリーガーになるのが目標でした。

――肉体改造の成果はいかがでしたか。

 打撃練習で打球がピンポン球のように果てしなく飛んでいくようになりました。メチャメチャ楽しかったです。でも試合では打てないんですよ、まだ技術がないので。

法政大学時代(本人提供)

捕手の経験ないのに即決

――大学卒業後は米大リーグ・フィリーズの1A(マイナー)に入団されました。どのような経緯でそうなったのでしょうか。

 信じてくれる人が近くにいてくれたことが大きかったです。父が「おまえは絶対プロ野球選手になれる。この世に生まれた最高傑作だから」ってずっと言ってくれて。大学でドラフトの指名がなかった時に母が「父さん、あなたウソつきね」って言ったら、「ふざけるな、今から(プロ野球選手に)なるから一筆書け。『佐藤隆彦がプロ野球選手になった際は、毎晩あなたのことを三つ指立ててお迎えいたします』と」って反論して(笑)。

 父の期待に応えたいし、ウソつきにしたくないからあきらめたくなかった。その時に、新聞の「フィリーズが多摩川のグラウンドでプロテストをやる」という小さい切り抜きを見つけて。大学の“補欠軍団”で受けました。300人ぐらい参加して、僕が1人だけ合格して。捕手をすることが入団の条件だったので、経験がないけど「やる」と。即決でしたね。

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