来日スペシャル上映会で、グァンハンとダブル主演の清原果耶と。「いまもお互いに緊張感がある。ちょっとでも成長してる姿を見せたいと、サボらずに作品作りができるのは幸せだと思います」(清原)[撮影/高野楓菜]

 父は藤井の名を「剣(つるぎ)」にしかけたほど剣道一筋の名人でもあった。その影響で藤井は3歳から剣道を始めた。高校卒業まで365日中、350日は稽古。当時はつらかったが、いまでは感謝していると藤井は言う。武道の基本は「克己心」、己にどう勝つかだ。礼節や忍耐も身についた。実際、藤井は強く、都大会や関東大会で勝ち続けた。だが中学で渋谷区から中野区に引っ越したことで、剣道と並走して青春も走り始める。地元の友達ができ、稽古のあと夜まで遊び、母や姉に反抗的になった。初めてできた恋人と浜崎あゆみのCDを貸し借りっこした。うう、甘酸っぱい。

 リーダーというよりは「ナンバー2」のポジション。「クラスの一番後ろの席で椅子をギッコンギッコンやっていた」藤井少年は、高2で映画に出合う。きっかけは親友と一日ひとつ何かをやろうと決めたことだ。親友は「一日一善」。藤井は「1日1本映画を観る」。家から1分のところにTSUTAYAがあったのだ。最初はアメリカのコメディー。キャメロン・ディアス主演の「メリーに首ったけ」を友達とワイワイ楽しんだり、「世にも奇妙な物語 映画の特別編」をデートで観に行ったり。映画は難しいものではなく、みんなで楽しむもの。それが藤井の映画原体験であり、間違いなくいまの藤井を形成している「もと」だ。

映画の知識はなくても 仲間と工夫するのが楽しい

 日大芸術学部映画学科の脚本コースに進学するが、まわりは濃いめのシネフィルばかり。「小津のなかで何が好き?」と聞かれて「オヅ……?」と返して呆(あき)れられた。廃部寸前だった非公認映画サークル「ズッキーニ」に参加したのもコアな映画好き集団とは違う空気があったからだ。脚本も監督も担当し、自主制作映画を撮り始めた。

 食品用のラップをレンズにつけて岩井俊二風のふんわりした映像を再現しようと試みたり、配膳台にカメラを乗せて動きのある映像を作ってみたり。バイト代で機材を借り、仲間を増やしていった。映画の知識はなくても、藤井にはコミュニケーション能力やチームを作る力があった。

「剣道って個人戦なんですよ。それまでみんなで何かをやるってことをしてこなかったから、楽しくて。いまもそのまま、ここに至るって感じです」

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