中国で最初にEV化を唱えたのは、意外なことに中国ロケットの父と言われる銭学森(せんがくしん)氏だった。1992年に、彼は、政府に、ガソリン車を飛び越えてEV化を進めろと進言したが、夢物語として葬り去られた。
その後、外資系メーカーが自動車市場を支配するようになったが、ドイツのアウディのエンジニアとして活躍していた万鋼(ばんこう)氏が、アウディのメンバーとして訪中した際に、国務院に手紙を出して、やはり、ガソリン車を諦めてEV化を進めるように進言した。99年のことだ。中国政府は彼の提言を採用し、2000年に帰国した万氏をEV化の主席担当官に任命した。中国EV化の出発点だ。
さらに政府は、07年に万氏を科学技術部長(大臣)に大抜擢した。共産党員でない大臣は初めてのケース。中国政府の本気度がわかる。
中国政府がEV最優先政策に舵を切った理由は4つある。
まず、産業の高度化(高付加価値化)に資すること。次に、先進国との競争に新しい道を開くこと。第3に、国家安全保障上大きなメリットがあること。第4に騒音、大気汚染などの環境問題の解決に繋がり、さらには脱炭素対策に大きく貢献することであった。
中でも、EV化を単なる自動車産業政策としてではなく、国家安全保障の問題として位置づけたことが特徴である。対外依存度の高い石油から水力、風力、太陽光を推進してエネルギー安全保障を確立する政策の一環として、新たな電力供給構造の一部を構成する形でEV化が位置づけられた。また、当時は北京の大気汚染が深刻で、その解決のために石炭火力から再エネ中心のエネルギー構造を目指す上でEV化が不可欠だと位置づけられたこともその後の一貫した政策の後ろ盾となった。
エネルギー政策、環境政策、産業政策の連携がなく、場当たり的な対応となっている日本が学ぶべき点である。
07年の「産業構造調整指導目録」(産業高度化政策一覧のようなもの)に書き込まれたEV化戦略では、すでに、ハイブリッドを助成対象から外すことが書かれていた。極めて長期的視点をもった政策であることも特徴の一つだ。