「誰だって善意はあるけど、悪意の粒だって持っているよね、と思うんです。だから、いい人でいなくちゃいけないとは思わないし、僕の中には悪魔もいるよね、でもそれでいいよね、という感覚が幼い頃からある。その感覚は、詩を書く上ですごく役だっているし、そういう意味でも姉の存在はとても大きかった」
そんな新沢の才能がより多方面に大きく伸びたのは、高校時代だ。
もともと都立高校への進学を考えていた新沢に、ある日、母の智恵子が、自宅からほど近い東京都小金井市に国際基督教大学(ICU)高校が開校することを教えてくれた。1学年約240人のうち、3分の2が帰国生。約80人の「一般生枠」には受験者が殺到したが、母に背中を押された新沢は見事、合格。1期生として入学した。
新設校だから、生徒会もない、部活もない、上級生もいない。後に「伝説の1期生」と呼ばれることになる個性あふれる同級生と先生たちでゼロから学校を作っていくという稀有(けう)な経験を重ねる日々。新沢は、同級生と一緒にギターを弾き、学校祭のパンフレットに絵を描き、初代生徒会に立候補して書記として「生徒会だより」を発行した。「将来は、歌や絵、文章を多くの人に届ける仕事がしたい」と具体的なイメージを膨らませるようになったのも、この頃だ。当時を振り返り、
「夢のような3年間でした。毎日がお祭りみたいで、全ての選択が自由。母は、そんな雰囲気が僕に合うと思ってたんでしょうね。僕は幼い頃から、絶対にちょっと変わった子だったけど、家族は抑圧することなく、いつも見守ってくれた」
と話す。友だちにも恵まれたという。
学生時代に保育園でバイト 超絶悪ガキ集団から学んだ
その一人、藤田敦子(61)は高校2年の夏、1年間の米国留学へ出発する時、新沢から贈られたカセットテープを今も大切に持っている。新沢が作詞・作曲した「サヨナラをした君に」など16曲と応援メッセージに加え、通学で使っていた京王線の電車が走る音が時折混じるそのテープを、藤田はホームステイ先で何度も何度も聴いたという。
♪サヨナラなんて聞かなかった
君はまだそこにいるのさ
たったひとりの君に
たったひとつの心をあげよう
いつまでもいつまでも 忘れはしない