94年から約10年間、公立幼稚園で保育士として働いた経験のある淑徳大学准教授の松家まきこ(幼児教育)は、当時、保育現場に新沢の歌が浸透していくことをリアルに感じていたという。
「それまでの童謡とは全く違って、アップテンポで華やか。大人の心にも届く言葉で綴(つづ)られていて、子どもたちに聴かせる前に、現場の保育士たちがみんなファンになっていました」(松家)
それは、日本の子どもの歌の世界における大きな変化だった。日本童謡協会常任理事で、作曲家のアベタカヒロ(43)は言う。
「『ぞうさん』『サッちゃん』に代表されるように、童謡とは、ゆっくりとした調べと癒やしが持ち味でしたが、いつか“卒業”してしまうものでもありました。そこに新しい風を吹かせたのが新沢さんです。大人は誰でも子どもの部分があるし、心に子どもが住んでいる。その感覚を具現化し、大人から子どもまで気兼ねなく歌える全く新しい童謡を開拓してくれた。本当にすごいことだと思います」
新沢は1963年、クリスチャンの両親の下、東京都江東区の下町で生まれた。年子の姉のいずみと四つ下の弟の拓治との三姉弟。昨夏、88歳で亡くなった父の誠治は、同区内にあるキリスト教系の神愛保育園の園長を40年間務め、夜間保育や延長保育の実施、給食内容の改善など、戦後の保育運動の先頭に立っていた人格者で、母の智恵子(89)はその保育園で働く保育士だった。
僕の中に悪魔もいる感覚が 詩を書くのに役立っている
共働き家庭の慌ただしさはあったものの、父の誠治は、お気に入りのレコードをかけながら、家族で食卓を囲むことを楽しみにしている愛情豊かな人だった。井上陽水の「断絶」や小椋佳の「ほんの二つで死んでゆく」など、家族だんらんにはそぐわない選曲も時々はあったものの、それが新沢家の日常だった。
映画にもよく連れていってくれた。「メリー・ポピンズ」や「クリスマス・キャロル」、「サウンド・オブ・ミュージック」にチャップリンの映画など、話題の作品を逃すことはなく、「男はつらいよ」は新作が出る度に家族みんなで観にいった。芸術が注がれる環境の中で、新沢の感性は磨かれていった。