1.5次避難所も兼ねるクッションのような避難所
輪島市の障害者福祉施設の「一互一笑」では福祉避難所として広く受け入れをしていたが、水や建物の心配から利用者を広域避難させると決断。障害事業部長の藤沢美春さんは、愛知県内の2次避難先はスタッフが探したと語る。
「断水などで普段のルーティン通りの生活ができないため、障害の重いお子さんはパニックになるんです。まとまった人数の障害者を新たに受け入れてくれるところは、ほぼ皆無でした」
1次避難所の要配慮者は、DMATなどの避難所巡回を担当する医療班や保健師がピックアップし、1.5次避難所への移動を促す。そこへの移動が難しい場合は、福祉避難所へも案内する。
支援体制の調整を輪島市の福祉課と担ってきた、厚生労働省DMAT事務局災害医療課の上吉原良実さんは言う。
「高齢者や障害者も、感染症に罹患(りかん)した人も、指定避難所での一般的な支援だけでは避難所生活が難しい人たちに対応しているのが福祉避難所。今回、市内に数カ所開設され、柔軟な受け入れをしてくれています」
今や福祉避難所は、「1.5次的避難所」として、クッションのような役割も果たしている。下水道が完全復旧するまでには年単位の時間を要すると言われており、いったん身を寄せても、さらに遠くへと避難する必要性が生じたのだ。行政に任せていたら2次避難先探しには時間がかかる。そこで「つなぐケア」として、福祉避難所のスタッフが次なる避難先探しをサポートする。
ウミュードゥソラの避難所で中心業務を担う中村悦子さんも被災者。かつて輪島病院に勤務していたベテラン看護師だ。「住み慣れた土地での暮らしを守ること」に使命感を燃やす。だが苦渋の思いで、広域避難も進める。
75歳の女性が、ウミュードゥソラのスタッフ部屋に顔を出す。ここで数日過ごした後に、福井県勝山市への避難を決めた。中村さんは、このおばあちゃんに病院勤務時代から関わってきた。
「優しくしてもらってありがとう。できれば輪島におれたらいいんやけど」
女性は不安を吐露しつつ礼を述べる。中村さんは、背中をそっとたたいて送り出す。
「勝山は私らとつながってる施設やけん、大丈夫。あっち行っても、みんなに『助けて』って言うて、一人で抱え込まんと助けてもらうんよ!」
平時からのつながりで、伴走型の広域支援体制を
女性が移ったのは、前出の紅谷医師が勝山市の協力を得て、1月末に開設した新たな2次避難所だ。輪島で支援に当たった看護師が、「また会えましたね」と勝山の避難所で出迎えるひとコマも。現地の利用者は、今では水の心配も要らず、湯上がりに利用者が首タオルでくつろぐ姿も見られる。
ウミュードゥソラ福祉避難所の運営に携わってきた介護福祉事業/NPO「ぐるんとびー」(神奈川県)の菅原健介代表は、顔なじみの関係を継続させながらの「伴走型広域支援」を目指す。こんな提案をする。
「高齢化が進む地域はもともとのケアの資源に余裕がない。今後は平時から、福祉施設が域外の施設と顔の見えるつながりを築いておくことがいちばんの防災策になると思っています」
次なる災害の備えとして、平時から福祉職同士がつながって、いざという時に伴走しながら支援できる体制を作っておくのも、一つの手だ。(ジャーナリスト・古川雅子)
※AERA 2024年3月4日号