2月上旬、広域避難が進む石川県で、「1次」「1.5次」「2次」の避難所を訪ね歩いた。輪島市では、介護者が葛藤を抱えながらも福祉避難所を拠点に「つなぐケア」を展開。高齢化率が約50%という奥能登ならではの支援課題に迫った。AERA 2024年3月4日号より。
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大広間には、段ボールベッドが並ぶ。少しでも私的な空間を確保できるよう、ベッドの間はスタッフが組み立てたついたてで仕切られている。
石川県輪島市の福祉施設「ウミュードゥソラ」。ここは1月1日の能登半島地震の発災直後から被災者を受け入れ、早くから「福祉避難所」として支援を続けてきた。
福祉避難所は、高齢者や障害者など一般の避難所で生活を続けるのが難しく、特別な配慮を要する要配慮者を受け入れる。ここに発災直後に駆けつけた、福井県「オレンジグループ」代表の紅谷浩之医師は、こう語る。
「ぎゅうぎゅうの避難所で2日間横になっていたお年寄りが、福祉避難所に運ばれてきた時には起き上がれないほど身体機能が落ちていた。1次避難所には自分で歩いて行ったというのに。高齢化が進む地域の支援には、介護や生活医療の目が必要だと実感しました」
阪神・淡路大震災時の日本の高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)が約15%。東日本大震災時は約25%。一方、2020年国勢調査では、奥能登の高齢化率は48.9%。
災害弱者支援において、奥能登特有の課題があったのではないか──。
2月上旬、筆者は石川県へ赴き、「1次」「1.5次」「2次」の避難所を訪ね歩いた。
輪島市に入った日は、災害派遣医療チーム「DMAT」が1次避難所から引き揚げる時期だった。全国から派遣されるDMATは通常、短期的に急性期の医療支援を担う。だが今回は異例なことに、能登半島地震発災から1カ月超の長期派遣となった。一般の支援者が入りにくい奥能登の道路事情も相まって、DMATの医療チームなどが高齢者や重症者の広域搬送支援にも携わっていたのだ。筆者が市内の1次避難所を回ると、外部から支援に入っていた医療スタッフが口々に言った。
「行政側から伝わる『空気』は、被災者をとにかく外へ送り出すんだと。避難所内のケアを手厚くするのはよくないの?と悩んだ時期もありました」
「避難者を(別の避難所に)出す出すという流れだったのが、途中から『出せない』と変わり、混乱もあった」