初めて自分にプレゼントをあげた頃、私は、ある意味で自分の事を諦めたのだ。それまでは、宙に浮かんで、頭の上の方から客観的に自分を見ていた。幽体離脱した人が、自分の肉体を見ている様な感じ。上から見ていると周りはよく見えるけれど、自分の中身がよく見えない。心の中の痛みなんか見えないからほっぽっておいた。何がきっかけだったのか、もう忘れてしまったけれど、二十五歳の誕生日を迎える頃、私の魂は肉体に戻っていた。内側から見る世界は、宙の上から見るよりも、ずっと広くて大きかった。そして、私は、しばらくほっぽっておいた、自分の中の小さなキズ達に気付いてしまった。ごめんね。優しくするからね。って事で、プレゼントをあげたのだった>(注6)
「宙の上から自分を見るまなざし」は、「ユミさん」の要求にこたえようとする「ユミさんの母親」の視点です。そこに身を置いていたために、自らの心身の声を、小泉今日子は二十五歳まで聞きとれずにいたのでした。
こうした「自分を外側から見る習性」は、いっぽうではプラスにも働いています。先に述べたように、「お客の目線になりきって自分を観察できること」が小泉今日子の「強み」です。この「強み」は間違いなく、「頭の上の方から客観的に自分を見ていた」経験に根ざしています。
バブル時代に各種の「過激な企画」をもちかけられたとき、冷静に「一度はやってみよう」というスタンスで彼女は応じていました(助川幸逸郎「バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったか」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。年長者に踊らされているように見えながら、踊らせる側の真意をしっかり見定めている――アイドルとしての小泉今日子のありかたは、「ユミさん」の「着せ替え人形」を務めていた姿が原点です。
家族のなかで常に居場所を探さなければいけなかった太宰と、「ユミさん」の「着せ替え人形」だった小泉今日子。そうなる理由は違っていても、「他人に合わせて自分を演じる子ども」であった点は同じです。小泉今日子が、太宰に共感するのも当然といえます。同時に、ためらわず自己主張をする三島に、彼女がなじめないのも理解できます。
小泉今日子は「ユミさん」のおかげで、精神的負荷のきつい幼年期を過ごしました。しかし、彼女の「強み」である「お客の立場になりきって自分を眺める目線」を獲得できたのは、「ユミさん」のおかげです。その「目線」があるから小泉今日子は、つねに変化して古びずにいられます。
「ユミさん」は、「母親らしい母親」ではなかったかもしれませんが、結果的に小泉今日子を守っています。人間にとって、何が幸福で何が不運かはにわかに定められない――「ユミさん」と小泉今日子の関係を見ると、そのことについて改めて考えさせられます。
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
注1 シス・カンパニー公演『草枕』パンフレット
注2 注1に同じ
注3 「Heart Break Interview」(「ボム」1985年9月号 学習研究社)
注4 小泉今日子『小泉今日子の半径100m』(宝島社 2006)
注5 小泉今日子『原宿百景』(スイッチ・パブリッシング 2010)
注6 小泉今日子『パンダのan・an』(マガジンハウス 1997)