幼少期の小泉今日子は、どうしてストレートに自己主張できなかったのでしょうか? そこには、母親との関係が影響していたようです。
<ユミさんは優しいお母さんだったけれど、友達のお母さんと比べるとお母さんっぽくない人だったかもしれない。(中略)幼い日の私の写真を見ると、たいがい超ミニのスカートを穿いている。これもユミさんのセンスで、「キョウコの足はキレイなカタチをしているから」と、親バカ発言をしながら、もともとミニスカートなのに、さらに裾あげされてパンツが見えないギリギリの丈にされていたのである。髪型もそうだ。小学生なのにパーマをかけさせられたり、モンチッチみたいな超ショートカットにされたり、私はいつも、ユミさんの動く着せ替え人形のように遊ばれていた。別に嫌ではなかった。むしろ好きだった。私が最初に憧れた女性はユミさんだったと思う。母親というより大人の女性として素敵だと思っていた。でも、いつの日からか私がユミさんのお母さんみたいになっちゃった。
十七歳の時だったと思う。原宿のマンションにユミさんが泊まりに来ていた。キッチンで洗い物をしながら私はユミさんの愚痴を聞いていた。ユミさんは自分の感情に素直な人だから、よく泣いたり怒ったりする。私はいつも黙って聞いてあげる。そうすると「あんたは私のお母ちゃんみたいだね。お母ちゃんは割と大柄な人だったから姿は全然似てないんだけど、なにかがすごく似てるのよ」って、ユミさんが言う>(注5)
「ユミさん」は、子どもたちのなかでいちばん幼い――親にあらがう力の弱い――小泉今日子を、マスコットにしていたようです(小泉今日子の容姿がかわいかったせいもあるでしょう)。ファンキーな要求をしてくる「ユミさん」を、小泉今日子が受け入れる――それが小泉今日子とその母親の関係でした。
小泉今日子が「ユミさんのお母さん」になったのは、十七歳のころだったと書かれています。けれどもそれよりずっと前から、小泉今日子のほうが「ユミさん」の自己主張を受けとめる立場にありました。子どものアピールにいちばん耳を傾けてくれるはずの「母親」が、小泉今日子にとってはいないも同然だったのです。その影響で小泉今日子は、「自己主張を我慢する子ども」になりました。
大人になってからも小泉今日子は、「自分自身の主張」に気づくことがなかなかできなかった模様です。彼女は書いています。
<二十五歳の時、私は、生まれて初めて、自分に誕生日プレゼントをあげた。(中略)今よりもっと若い頃の私は、自分に完璧を求めていたのかもしれない。知らない事が恥ずかしい。出来ない事が恥ずかしい。心配されるのが恥ずかしい。そんな気持ちを大人達に気付かれないように、無口な私がそこにいた。