
――職業に就くという意識ははっきりあったんですか?
ありました。将来、結婚して家庭を持つようなことはないだろうと、なぜか思っていて。1人で生きていくためには一生働けるような仕事を持たないといけない。自分の強みって、アイデアをポンポン出したり、周りを巻き込んでそれを一緒にやったりすること。そういうのを生かしていけたらいいなって考えていました。
「あるがままを見る」が原点
そのころ、テレビに何かを開発した若い女の人が出たんですよ。ちょっと記憶が定かでないんですが、キティちゃんだったかなあ。会社員として出した自分のアイデアで世の中の人が喜ぶって、なんて素敵なんだろうって感動したんです。それで、会社に入って自分のアイデアを世の中に出したいと漠然と思うようになった。
東京大学理科Ⅱ類に入って、はじめは有機化学が面白いと思い、薬学部は有機化学が強いと聞いて、理学部とどちらにするか迷ったすえ、薬学部に進学したんですが、入ってみて迷いだした。自分はそれほど有機化学を好きじゃないと気がついたというか。
そんなとき学生実習で心臓の薬理をやったら、心底、面白かったんです。動いている心臓を見ながら、何かぐっとくるものがあった。今思うと、原点は、幼少時の草むしりかもしれない。自然のあるがままを見るということが私の興味の原点だと思います。
――修士課程はその研究室に?
はい、循環器薬理の研究室です。教授は製薬会社で新薬を開発してから東大に移った長尾拓先生で、「これからは女性の時代だよ」「日本は人口が減っていくんだから、優秀な女性が認められる社会じゃなかったらダメだよ」というようなことをよくおっしゃっていた。それですごく勇気づけられましたね。
修士を出たら就職したいと伝えると、長尾先生は「いや、行かないほうがいいよ」とおっしゃった。「会社の研究所に入ってから女性が博士号を取ると言っても大変だから、博士号は大学で取っちゃったほうがいい」って。それで博士課程に進んだら、その研究室では私が博士に進んだ初めての女性だった。
――へえ。
博士課程を終えたときも会社に行きたいという思いを捨てられなかったんですが、先生は「何言ってんの。海外に留学して、もっと外の世界を見たほうがいいよ」って。まあ、そのころは半分、アカデミア(学術界)に残って個人研究を進めるのもいいかなと思っていました。後輩に教えるのもすごい楽しかったし、研究も楽しかったので。このときはもう結婚していたんですけど、1人で海外留学することにしました。
――いつ、どういう方と結婚したんですか?