
博士2年のときに大学の同期と。彼は修士を出て会社に入りました。周りを気にせず、自分がやりたいことをやるというあたりが、気が合ったんですね。私の留学を夫はすごく後押ししてくれた。
留学先は基本的に自分で探しました。私がすごく感動した論文があって、それを書いた米国コロンビア大学の先生に長い手紙を書いたんです。それが正しいやり方なのかよくわからなかったのですが、ポスドク(博士号取得後研究員)として仕事をしたいと伝えました。そうしたら、なぜかコロンビア大の別の先生から「来てほしい」という手紙が来た。
長尾先生に相談したら「それも何かのチャンスだから行ってみたら」と言われ、行くなら日本で奨学金を取っていったほうが自由に研究できるとアドバイスももらった。それで民間財団から取りました。アメリカは実力次第なのですが、私の場合は英語が苦手というハンデがあったから、この奨学金にとても助けられました。
奨学金の申請時期の関係で、コロンビア大に行く前に米国ジョージタウン大学に行って実験技術を学び、その技術をベースにして研究を進めました。ボスはすごく忙しい方で、基本的には自分で自由にやって、運動して心臓の拍動が速くなるときに出るホルモンが心筋に作用して心筋の電気的なリズムも速めるという仕組みを細胞レベルで再現することに成功しました。その論文はサイエンスに載ったし、今も引用されているので、すごく良かった。
――米国ではずっと一人暮らしですか?
いえ、夫は、私が行ってから4年目に米国勤務の希望が通ってやってきました。日本では子どもがいる女性研究者をほとんど見たことがなかったのに、アメリカには普通にいる。産むならアメリカだよねって言っていたけど、残念ながら、そうはいかなかった。
そのころ、医科歯科大の古川哲史先生から突然メールが来て、最後に「もし日本の方じゃなかったら日本語でメールを書いてごめんなさい」って書いてあった(笑)。サイエンスに出た論文を見て連絡をくれたんですね。最初は笑ってしまったけれど、日本人の名前であっても日本語を話せない方もいらっしゃるから、気遣いですよね。優しい先生だなと思いました。
9.11の同時多発テロが起きてから、米国も住みにくくなったと感じていたところで、お誘いを喜んで受けました。調べてみたら古川先生は重要な論文をたくさん出していて、循環器内科の臨床もされていて、基礎研究もされているすごく立派な先生だった。