日本に帰り、助手に着任してまもなく妊娠がわかったんです。すぐに教授室に飛んで行って「先生どうしよう!」って言ったら、先生もびっくりしながら「いや、おめでとう」っておっしゃってくれた。

 古川先生は必要以上にフォローせず、淡々と研究のことについて話す感じで、すごくやりやすく感じました。子どもが0歳のときも米国で学会発表したし、実験をやりに遠くの大学まで出張することもありました。自由にできた一方で、できないときにはいつでも断れる感じでした。こういう雰囲気づくりは、自分が上司になったときにも気をつけようと思っているポイントで、古川先生から多くを学びました。

――日本には彼も一緒に帰ってきたんですか?

 はい、ずっと一緒に住んでいます。帰国したとき、私の父は亡くなっていて、母は東京郊外で一人で暮らしていた。長男が生まれてから、大学から数駅離れたうちまで2時間近くかけてときどき手伝いにきてくれましたけど、やがてそれでは回らなくなり、もっと大学に近いところに母ともども引っ越しました。

 母とは同居ではなく近居ですが、子どもの晩ごはんを作ってもらえたりして、本当に助かった。自分たちで何とかしようと頑張りましたが、母の協力なくしてはやりきれなかったと思います。静岡県立大に就職してから、母も一緒に新横浜駅の近くに引っ越しました。

家事はできるほうがやれば良い

 母が近くに来る前に、私は切迫早産をやっているんですよ。これは早産しそうという状態で、絶対に安静にしていなければいけない。でも、入院しませんでした。先生に「女の人は家にいるとご主人の朝ごはんとか作らないといけないでしょ」って言われましたが、「あ、私は何もしません。ご心配なく」って。

――(笑)。それは結婚当初からそうだったんですか?

 そうですね。家事は、できるほうがやれば良いというか。ただ私、料理をするのが好きなんですよ。好きだからやっていました。女だからやっているっていう感覚は1ミリもなかったですね。他の人に手作りケーキを振る舞ったりするのも大好きで。その代わり掃除は大嫌い。だから、ルンバです。夫婦そろって嫌いだったので、機械で解決しようって。ルンバはどんどんバージョンアップして、外出先から携帯でピピッてやると勝手に掃除をしてくれます。

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