木村初子さんは血圧が高く退院したばかりだった。用事を済ませる姿を自宅の窓からそっと見守った。アニワ(旧留多加)で
木村初子さんは血圧が高く退院したばかりだった。用事を済ませる姿を自宅の窓からそっと見守った。アニワ(旧留多加)で

 今年度で第47回を迎える木村伊兵衛写真賞はノミネート選出した5人の作家から新田樹さんを選出した。賞状と賞牌、副賞100万円が贈られる。現在56歳の新田さんは木村賞の歴史の中で最年長の受賞となった。AERA 2023年4月3日号の記事を紹介する。

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「木村伊兵衛写真賞」は写真作品の「芥川賞」とも称され、その年、もっともすぐれた作品をあらわした新人に贈られる。今回受賞した新田樹さんは56歳。歴代受賞者の最高齢、まさに遅咲きの新進写真家だ。対象作『Sakhalin』(サハリン)では、日本の統治後、ソ連領になった後も帰郷することができず彼の地で現在まで暮らす韓国・朝鮮系の人びとの姿を丹念な取材によって追いかけた。

 選考委員の平野啓一郎さんは、

「人物の皺の一本一本に刻まれた複雑な時の流れを、その社会と自然への大きなスケールの視点を背景に活写している」(選評から抜粋)と評価する。

■歴史が目の前に

 新田さんは福島県会津地方で育った。少年時代、深夜にモスクワ放送を耳にしたきっかけから、いつかロシアへ旅することを長年思い描いていた。実現したのはアシスタントから独立した1996年。ウラジオストクからシベリアを渡り、コーカサス地方まで長い旅をした。その旅の入り口で、サハリンに初めて滞在した。

「街を歩いていて日本語がふつうに聞こえてきて、ものすごく驚きました。『話せること』と『使われていること』はまったく違いますよね。なぜ日本語が話されているんだろう? 何よりそこが知りたかったんです」

 歴史そのものが眼前にあるかのようで、強い衝撃を覚えた。しかしその頃の新田さんは、人びとと真正面から向き合う覚悟が持てず、知識もなかったと述懐する。

 その後、いつしか新田さんの関心はアフリカへ移っていた。エチオピアの南の辺境の地へ旅し、民族の坩堝のなかで、しゃにむに肖像写真を撮り続ける。30代の新田さんはそこに没入していた。

「半年稼いで半年はアフリカへ行きっぱなしということを何度も繰り返していました。生活や仕事とのバランスは、滅茶苦茶でしたね(笑)」

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