安藤寿康著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)
安藤寿康著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)

「これ自体いい話なのですが、それだけでなく、同じように発達障がいの子の散髪で悩んでいる美容師に、オンラインで教えてあげていたんです。で、教育って、そういうことなんじゃないかと。つまり、なにか課題を抱えていて、それを解決する方法を必要としている人のところへ、その課題に一足先に気づき、解決できる遺伝的な素質を持っていた人が、その知識や技能を運んでいった時に、『あ、まさにそれが欲しかったんです』といって、自然に受け渡しがおこなわれる。そんなことをやる動物は、人間しかいないんです」

 学校との違いは、習う側に積極的な動機があることか。しかし、習いたいことがあらかじめわかっているとは限らないのが、教育の難しいところだ。

「それもまた、出会ってみないとわからないことなので。誰と出会うかによっても違ってくる。そこにも全部『ガチャ』があるわけですが、とりあえず、人やものごととの出会いを組織的につくる場として、人間は学校というものを発明してきた」

学校はこれ以上よくならなくていい

 現代でもおおかたの先生たちは、子どもたちに豊かな経験をさせてあげようと思っているだろう。ところがこと受験となると、学校の成績やテストの点数に教育の焦点がスライドしていく。学校は教育のための道具だったはずなのに、その道具によって傷つく子どもたちが出てくる。

「標準化されたカリキュラムのなかで、難しい問題が解けるようになると、達成感を覚えるし、確かにいい大学に入れます。どんどん難易度が上がる入試問題に、どこまでもついていけちゃう有能な子もいます。ですが多くの場合、がんばってもどこかでついていけなくなる。その背後には遺伝的な要因があるのですが、教育界ではそれを言ってはいけないので、本来できるはずのことができていないということにされてしまう。高い学歴は誰でも目指せるし、目指せなかったのは本人の努力不足か、教え方が悪いというストーリーしかない。それが、日本の教育をちょっと不自然なものにしている」

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