遺伝と環境のランダムな出合いの場だった学校は、受験の部分がどんどん洗練されていき、安藤さんいわく「マンモスの牙のように」そこだけが肥大化していった。
「学校受験のしくみはうまくできているので、そこに乗ってうまくいった人は、そうでない人と比べて、確かに収入はよくなります。収入が多ければ幸せとは必ずしも言えないし、所得格差は経済政策の問題であって、それはもう別途のことなんですが、それが教育と絡まってしまっているので、受験に適応できなかった人からパイを奪うことになる」
安藤さんは最近、ふたご以外の人への聞き取り調査を始めた。有名無名を問わず、「なんかいい仕事やいい生き方してるな」と思う人が対象だ。
「『学校の成績だけが人生じゃない』というと、一見陳腐な慰めの言葉と思われるかもしれませんが、世の中で魅力的な仕事をしている人、すごいなあと思う振る舞いをしている人に気づけるようになるほど、リアリティーを増していきます。学校の成績には反映されない能力が、人々の生きるリアルでローカルな場面で機能している。当たり前のことですが、拙書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)では、その当たり前を科学的に示そうとしたつもりです」
学校をもっとよくしようではなく、すでにすぐれた制度があるのだから、運用する側のマインドを変えていこうというのが、現代の教育に対する安藤さんの提案だ。問題は道具ではなく使い方、ということである。
大切なのは本人が持つ資質を、自由に試しながら、失敗しながら、探っていくこと。成功しなければならない、個性的であらねばならない、何者かにならなければならない。安藤さんが語る行動遺伝学は、そういう呪縛を解くものでもある。
(構成/長瀬千雅)