ふたご研究の第一人者で、行動遺伝学や教育学の専門家の安藤寿康さんは、「教育とは何か」「人はなぜ教育するのか」を生物学的な観点から研究している。「やればできる」は遺伝学的には錯覚だと指摘する安藤さんが、「教育は遺伝に勝てるか?」という究極の問いに迫る。
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教育界が使い分ける、本音と建前
安藤さんの研究は、人間の能力やパーソナリティーに遺伝の影響がどれくらいあるかを明らかにするものだが、その結果は、教育のあり方を考える時の重要なエビデンスを提供する。
実は教育界では、遺伝の評判はすこぶる悪いらしい。「子どもは真っ白なキャンバスなのだから、育て方や教え方でいかようにも伸ばすことができる」という考えからすると、「あらゆる能力は遺伝的であり、遺伝によるセットポイントがある」というのは具合が悪いからだ。
しかし、イギリスやアメリカでは1960年代にすでに、知能(IQ)の遺伝率が高いことが報告されていた。
「たとえばアメリカは、1965年にヘッド・スタート計画という就学前の乳幼児の保育プログラムをスタートさせ、早期教育にお金をかけてきたんですが、ヘッド・スタート計画の成果に関する調査からわかることは、その教育を受けている時はIQが高まるが、しばらくすると元に戻る、ということでした」
安藤さんは1981年に大学院に進学。バイオリンの早期教育として知られるスズキ・メソードを研究するつもりだったが、指導教授の紹介で行動心理学にたどりつき、日本で研究を始めた。
IQのような「認知能力」に対して、「非認知能力」という言葉をよく見かける。意欲、粘り強さ、感情をコントロールする力、客観的思考力、リーダーシップ、協調性などがそれにあたるとされている。幼児教育でも「非認知能力を伸ばすのが大事だ」と言われる。安藤さんはこれにも疑問を投げかける。
「『非認知能力』は、心理学的には妥当性を欠くものだと僕は捉えているんです。要するに、お勉強ができることを『認知能力』、それ以外を『非認知能力』と言っているわけですが、『非認知能力』に分類されている、『自分自身をコントロールして、社会的に適切な行動をとる力』というのは、脳の前頭前野が主に司るもので、『認知能力』なんです」