かつては私も、相手の苦労などわからないまま気軽にいいなーとか言っては失礼なんじゃないかとか、何もわかってないと思われるんじゃないかと色々考えてしまい、なんとなく「大変ですよね」と、口にすることが多かった気がします。近年の言語空間を見ていると、相手を侮辱する、あるいは傷つけるための言葉は論外としても、外から羨ましがるより、そういう風に無理やりでも共感を示す言葉の方をよく見かける気がします。

 もちろん、似たような痛みを感じている者同士は共有できる言葉も多く、時にそれに救われることは否定しませんが、実際はこれだけ多様になった生き方や環境、自分の性格や家族の性格、仕事の内容などあらゆる変数を考えれば、本来的な共感なんてなかなかないはずだとも思います。そういう時、色々考えて、あるいは自分の自尊心を守るために無理筋な共感を示すよりは、指をくわえて単純に羨ましがった方が、結果的にお互いの選択を祝福し、また自分の選択を確認することに繋がる気がします。さらに、人は結構ちょろいというか、私は結構ちょろいので、自分のことを羨ましがる人を具体的に見たり想像したりすることで、簡単に沈んだ気分が救われることもあります。

 転職したてのタイミングでの妊娠、出産は、色々な点で悩みを増やすものであったことは想像できます。仲が良かった友人が、新卒で入った会社の新人研修中に未婚で妊娠し、その後結婚、出産したのを間近で見ていたので、その時の彼女を思い出すと、よく葛藤の中で決断できたなぁと今でも思います。せっかく優秀な成績で入社したのに、同期がばりばり仕事を始めていく中で一人足踏みをしなくてはいけないこと、まだまだ大学や会社の同世代の友人たちが楽しく遊んでいる中で置いて行かれる気がすること、自分の実力の100%を出して仕事するのがもう無理になってしまった気がすることなど、当時聞いていた彼女の気持ちを思い出しました。

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中絶を選んだ自分に伝えたいこと