逆に、特に家族や育児による時間的・精神的な制約のない私の生活を気楽でいいなと言われたら、孤独死増加のニュースを見るたびに震え上がる孤独や、親族の子どもに結婚もできない変なおばさんという目で見られる恥ずかしさ、周囲に話題で気を遣わせているような申し訳なさ、ウクライナやガザ地区のように今住んでいる場所を焼きだされたら私は一人荒野をさまよわなきゃいけないのかという恐怖などに直面したらきっと嫌になるよ、と思わないこともない。それでも私は別の選択の積み重ねで生きている女同士、羨ましいものを羨ましがり合う精神性はお互いを救うのではないかと考えています。そこから友情も議論も自分との対話も始まる気がするのです。

 祖母たち、母たちの時代に比べて、女性のとり得る選択肢はものすごく多様になったはずだけれど、その代わり、あの時に選ばなかったもう一つの自分の在り方を想像し、今と比較し、いつまでも確信の持てない人生を生き続ける孤独は、常に私たちとともにあります。三十を過ぎて同窓会などを開くと、男性陣は結婚している/していない、子どもがいる/いない、出世している/仕事がうまくいっていない、などの違いこそあれ、基本的にみんな働いて、仕事の都合がつけばそろって出席し、遅くまで飲んでいますが、女性陣は働いている人もいれば育児に忙しいタイミングの人もいるし、そもそも子どもの年齢の都合などもあり出席できる人も限られてきます。女の方がずっと多様なので、男性の感じる息苦しさからはいくぶん解放されるかもしれないけど、自分の生きざまについて「これでいいのか?」と感じることはとても多いように思います。大体、男は既婚でも子どもが小さくても出席できるのに女の出席者はみんな独身だったりDINKSだったりするので、いかに家庭内で女が負担しているものが大きいかも実感します。

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新人研修中に未婚で妊娠した友人