文麿が動き始めるのは、硫黄島陥落直前の同二十年二月であった。天皇に上奏して「敗戦は遺憾ながらもはや必至なり」と述べ、敗戦に伴う共産革命で天皇制が崩壊する事態をさけるために戦争を終結すべきと主張したが、昭和天皇は「もう一度戦果をあげてからでないと難しい」といって難色を示したという。

 同年七月、ソ連を仲介として和平を模索する動きがおこり、文麿は対ソ交渉の特使に任じられる。文麿はブレーンの協力をえて和平交渉の要綱を作成したが、そこには国体護持(天皇制の存続)を絶対条件としつつ領土は固有本土とすること、完全な武装解除、憲法改正や天皇の譲位まで含む大胆な和平条件が盛り込まれた。しかし、対日参戦を決めていたソ連は交渉に応じず、その直後にポツダム宣言が発表され、広島・長崎への原爆投下を経て終戦を迎える。

 戦後、文麿はマッカーサーからの提案をうけ、自身の戦争責任を清算するために憲法改正作業に着手する。しかし、日中戦争の継続や日米開戦の責任を免れることはできず、A級戦犯に指定され、占領軍から逮捕指令が発せられる。文麿は戦争犯罪人として裁かれることを恥辱として、出頭期限の当日未明、荻窪の自宅で服毒自殺した。満五十四歳だった。

著者プロフィールを見る
京谷一樹

京谷一樹

●京谷一樹(きょうたに・いつき) 歴史ライター。広島県生まれ。出版社・編集プロダクション勤務を経て文筆業へ。古代から近・現代まで幅広い時代を対象に、ムックや雑誌、書籍などに執筆している。執筆協力に『完全解説 南北朝の動乱』(カンゼン)、『テーマ別だから政治も文化もつかめる 江戸時代』、『年代順だからきちんとわかる 中国史』、『「外圧」の日本史』(以上、朝日新聞出版)、『国宝刀剣 一千年を超える贈り物』(天夢人)などがある。

京谷一樹の記事一覧はこちら
暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ