駒澤大学総合教育研究部教授の坂野井和代さん
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 日本女性初の南極観測越冬隊員だった駒澤大学教授の坂野井和代さんは、南極に行く前の東北大学4年のときに同じ研究室で4歳年上の健さんと結婚した。南極での観測成果を博士論文にまとめたあと、ようやっとの思いで見つけた任期付きの勤務先は東京。東北大の助手になっていた健さんとの別居結婚生活が始まった。

 今も夫は仙台、妻は東京で働く。駒大に就職する前年暮れに生まれた第1子、その6年後に生まれた第2子を別居生活のなかで育ててきた。いったい、どうやって――。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

*   *   *

――東京での最初の仕事の任期は3年ですか?

 はい、その3年目に第1子を妊娠しました。生まれたのが12月末です。要は大きいおなかを抱えて就職活動をしなければならなかった。おなかに子どもがいたので、とにかく安定した職というのを第一目標にして、選り好みせずに出せるところには全部出しまくった。

人生は偶然の連続

 文系の私立大学に理系の研究者はあまり応募しないと思うんですけど、ここがパソコンとかコンピューターの管理ができる人を探していたんです。募集が出ていたのは「情報系」で、「理系」ではなかったんですけど、私は内容を見て「これだったらできる」と思い、「この仕事をできるから、採ってください」と書いた。

――それでめでたく採用された。

 はい。大学4年でサーバー管理したのが結婚につながったし、就職にもつながった。さらにその前に私がコンピューターに関心を持ったのは、メーカーの技術者だった父がマイコンとかパソコンとかを使っていて、その取り扱い説明書の後ろのほうに「こうやるとゲームができます」みたいなことが書いてあったから。要はプログラムすればできるっていうことなんですけど、それで私は面白そうだと思った。本当に人生って偶然の連続だなって思います。意図していないことがつながっていく。

――ほんとですね。12月に出産して翌年4月から駒大に。お子さんはそこから保育園?

 いえ、実は夫が半年の育児休業を取ったんです。駒澤では就職1年目は育休が取れないという労使協定があって、一方で夫はプロジェクトが一息ついたところで、「僕が育休を取るよ」と言って東京に来ました。取ってみたかったらしいんですよ。すごいマメな性格で、ご飯とかも私より作るんです。当時はイクメンっていう言葉すらない時代で、「どこに行ってもお母さんばっかりだ」って言いながら、予防接種とか健診とかに連れていっていました。

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高橋真理子

高橋真理子

高橋真理子(たかはし・まりこ)/ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネータ―。1956年生まれ。東京大学理学部物理学科卒。40年余勤めた朝日新聞ではほぼ一貫して科学技術や医療の報道に関わった。著書に『重力波発見! 新しい天文学の扉を開く黄金のカギ』(新潮選書)など

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