半年たって夫は仙台に帰り、子どもは認可外の保育園に入れました。夜10時まで預かってくれて、夕飯もちゃんと手作りしてくれるところで、しかも病気になったときは保育士さんを自宅に派遣してくれる。そういう保育園が川崎にあったんです。それを探し当てて、その近くに引っ越した。保育園代はものすごくかかりました。あと、横浜にいた私の両親にもずいぶん助けてもらいました。

 夫は毎週末、東京に来ていましたけど、そのうち、どうせ行き来するんなら私が通勤で行き来しようとなって、自宅を仙台の1カ所にしました。2歳の子どもを東北大の保育園に入れて、平日は夫が面倒を見る。私は月曜日に新幹線で東京に出て、東京にいる間はカプセルホテルに泊まる。

――え、カプセルホテル?

 ホテルに泊まっちゃえば洗濯も掃除もしなくていいし(笑)、部屋を借りるより経済的だし。週末は仙台に帰って、何とか生活が回っていましたが、「小1の壁」がすごく大変だって聞いていたので、上の子が小1になったときに産休・育休を取れるタイミングで2人目を狙いました。

――ほおー!

 何とかうまくいって、私は1年間育休を取って、仙台で暮らせた。上の子が小学校に入って昼に帰ってきちゃっても私が家にいる。

サバティカルで子どもたちとハワイへ

――でも、1年たったら東京に行かないといけない。

 はい。下の子も東北大の保育園に入れて、平日はお父さんが面倒を見た。下の子が保育園最後の年に私はサバティカル(研究休暇)で1年間、ほかの大学に行って研究ができたので、ハワイ大学の天文学研究所に子どもたちを連れて行きました。スプライトという雷雲の上で出る発光現象があって、学生時代にもその研究をしたんですけど、このときはマウイ島の山の上から観測しました。子どもの学校対応はちょっと大変でしたが、夫もときどき来て、1年間、楽しく異文化体験しました。

 それが終わって、また仙台から東京に通勤する生活が始まったんですが、私もだんだん忙しくなって。夫は夫で海外の共同研究先にすごい頻度で行くようになった。3カ月のうち4週間ぐらいは海外にいる、みたいな。そうすると、子どもたちの面倒を見きれないので、この生活スタイルは限界だなと思って、横浜に自分の家を持ちました。

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