言い換えれば、訂正する力は、「自分はこれで行く」「自分はこのルールをこう解釈する」と決断する力のことでもあります。そして批判を引き受ける力でもあるのです。

「声を上げること」を同調圧力にしない

 残念ながら、いまの日本にはそのような決断をできるひとがあまりいません。たしかにツイッターを見ると社会に違和を唱えるひとは多い。

 でも、ほとんどのひとが、たがいの顔色を見て「違和を唱えても大丈夫だよね」と保証を求めあっている。大丈夫だと保証されたら、それはもう本当の違和の表明ではありません。こういう環境がますます訂正する力を奪っています。

 最近のジャニーズをめぐる騒動を見ても、そういう歪みを感じます。2023年の3月、国外のテレビ局が、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川氏についてドキュメンタリー番組を放映しました。内容は、同氏が所属タレントに性加害を行っていたと告発するもので、それ以降日本国内も少しずつ空気が変わり、いまではジャニーズ事務所への批判が主流になりました。

 たいへんよいことですが、こんどは逆にジャニーズを批判しない関係者を袋叩きにするような風潮も出てきました。これはどうでしょうか。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?
次のページ
多様性の肯定は軋轢の肯定