――あ~、乳幼児のお風呂は大人が2人いないと無理です。
今から考えてもよくやったと思います。あのころは当直免除とかもなかったですし。それでも、眼科はリベラルで、女性だからといって蔑視されることはなかった。すごく優秀な女性の上司がいましたし、私と同年代で子持ちの女性教員が3人いた。教授が心の広い人だったというか、何も考えていないというか、とにかくラッキーでした。他の科なんか、妊娠したら大学病院を辞めるという不文律がありましたから。
――え~、産婦人科や小児科にとっては妊娠を経験した女性医師は千人力でしょうに。
本当にそうですよ。今は時代が変わりましたけど、当時の京大病院で眼科以外に女性教員がいる科はほとんどなかったですね。眼科の女性教員の同僚はみな豪傑で、私も含め仕事に穴は開けないし、夜の9時10時まで手術をしていた。でも通常は保育園のお迎えがあるから7時に帰る。そこで仕事を切り上げないといけないことにすごくストレスを感じていましたね。
それをやるのは私だ
――運命の分かれ道となる米国留学に行かれたのが1995年ですね。
夫が脳の神経幹細胞を研究するために米国ソーク研究所に留学したので、子ども2人を連れてついて行きました。それまで自分はあまり研究に向いていないと思っていたんですけど、ここで幹細胞の研究を始めたら、すごく面白い。臨床医をしてきた私は幹細胞の価値がすぐわかった。幹細胞を使って網膜を再生できれば、失明した人に光を取り戻すことができる。それをやるのは私だと思った。
それで、日本に帰ってからも幹細胞の研究を続けました。当時はES(胚性幹)細胞を使って研究し、2004年には霊長類のES細胞を使った動物実験で治療ができるという世界初の論文を出した。京大の助教授時代です。世界はヒトへの臨床応用に向かってどんどん動いていきましたが、日本では倫理的に慎重さを要求された。ES細胞はヒトの受精卵から作るからです。そこに、皮膚細胞から作れるiPS細胞が出てきたわけです。
――新聞でも、iPS細胞はES細胞と違って倫理的問題がない、と盛んに書きました。それに、患者本人の細胞を使って作れば、拒絶反応が起こる心配もない。
ES細胞には枕詞のように「倫理的問題のある」という説明がつきましたが、これはおかしいと当時から思っていました。カトリックでは「生命の誕生は受精のとき」と教義にありますから問題視するのはわかりますが、日本では中絶が行われている。にもかかわらずES細胞を問題視するのはダブルスタンダードです。それよりも拒絶反応のことが問題でした。対象疾患の一つ、加齢黄斑変性は高齢になって発症する。高齢者に免疫抑制剤を使用したくなかった。