マウスでiPS細胞ができたと論文発表されたのが2006年で、その年に私は京大から神戸市の理研に移りました。翌年にはヒトでiPS細胞ができたと論文発表された。私は山中先生に「5年で臨床試験をします」と宣言したんです。国も再生医療の特質に合わせた法律、制度づくりを進めてくれて、再生医療については世界最先端の法律ができた。それもあって、異例のスピードで第1例の手術にこぎつけました。

――米国から帰ってきてから全速力で駆け抜けてきた感じですね。ところが、1例目の手術をしたころは泣き暮らしていたとおっしゃったのには本当に驚きました。そこから不死鳥のように立ち上がったのも素晴らしい。帰国してからの子育てはどうされていたのですか?

米国から一時帰国したときの一家4人=1996年、関西空港(高橋政代さん提供)

 米国では臨床医として働く必要はなくて研究だけできたので、本当に解放されて、楽しかった。上の子は6歳になって、小学校の前の段階のプレスクールに入ったんですけど、あらゆることが「お母さんは働いている」という前提で進むから、すごく楽だった。アフタースクールが充実していて、民間の会社が何社も入って、スポーツをやる、勉強する、音楽や美術に親しむとか、いろいろ特徴があって、親が選べるんですよ。お金はかかりますけれど、すごくサービスがいい。学校にずらっとバスが並んで、子どもたちはそれに乗って会社の施設まで行って、遊んだり勉強したりしたあと送ってもらう。

 日本に帰ってきたら、学童保育は全然違った。楽しくなかったみたいで、子どもが行きたがらなくなって。保育園は7時まで預かってくれたので自分だけでところどころアウトソースして子育てしていましたが、小学校低学年はすごく早く帰ってくる。それで、姑さんに放課後の子どもの面倒を見てもらうことにしたんです。

――お姑さんはお仕事をされていなかったんですか?

 少し前に保育園の副園長を引退したところでした。

――お~。安心してお任せできますね。

 日本の小学校は、母親がPTA役員などをするものという体制で回っているから、米国とはまるで違う。私もPTAの広報委員会に昼間出席したりしましたよ。

 男女共同参画に関して日本の一つの問題は、家事や育児のアウトソースを嫌がることですね。お金がかかっても、ちょっと家事を手伝ってもらうだけで、すごい楽なんですよ。アジアの国々では、第一線で働く女性の家にはお手伝いさんがいる。日本も戦前はそうだったんですが、それを手放してから、全部奥さんがやらないかんとなった。今は男女区別なくなってきましたが、アウトソースを抵抗なく活用できるようになるといいですよね。

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