世界初のiPS細胞を使った眼科手術を主導した高橋政代さんは、再生医療をはじめ費用が高い最先端治療の普及には医療制度の変革が必要だとアピールしている。日本の医療には、保険診療と自由診療があり、自由診療はお金がかかるほか、医療の質が担保されていないという課題がある。そこに学会が関与する形で民間保険を入れて、自由診療の枠組みを利用して高額な先進的医療を多くの人が受けられるようにすべき、というのだ。「国民皆保険」という世界に誇る制度をこれで守れると位置づける。未来を見据えて大胆に進み続ける高橋さん。ここまで、どんな道を歩んできたのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
>>【前編】「ブルドーザーに乗ったサッチャー」と呼ばれて 「そんなん無理」を超えてきた女性眼科医(62)の歩み
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――お生まれは大阪ですね。
はい、父は普通のサラリーマン、母は専業主婦で、一人っ子です。地元の小学校から、大阪教育大学附属池田中学校へ。近所のおばちゃんが「この子わりと賢いから挑戦してみたら」って言ったらしいんです。母はそんな意識がなくて、塾も行ったことがなかった。
――それで受かったんですか。
あのころの中学受験では、塾に行かない人も半分ぐらいいたと思いますよ。家で過去問はやりました。電話帳みたいに厚いやつ。大学受験のときも予備校には行かなかった。夏期講習だけは行って、有名な物理の先生の授業を聴いたら、物理の点数が途端に上がりました。あ~、わかった~っていう感じで。これにはびっくりしました。
「絶対嫌や」と反抗した
――お母さまが医学部受験を勧めたとか。
そうです。親戚には歯医者が多かったんですけど、母は「戦争になっても食いっぱぐれがない」とか言って、医者を勧めた。母親はわりと勝気だったんだけど、昔だから、女学校しか行かせてもらえなかったとか、専業主婦で我慢しなあかんかったとか、あったんだと思うんです。で、自分で生活できるようにしたほうがいいと私に言っていた。
――そう言われて、何の疑問もなく?
いや、もう絶対嫌やって反抗してました。血を見るのは嫌だ、とか言って。でも、そのころは本当に嫌だと思っていましたけど、別に慣れるんですね。だから、みんなに言いたい。そう思って医学部の受験をやめる女の子はいっぱいいると思いますけど、そんなのはどうもない(笑)。