魂のこもった激しい言葉で選手の能力を引き出し、「日本語のマジシャン」とも言われる(撮影/大野洋介)
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 バスケットボールのW杯で、アジア最上位に輝き48年ぶりに自力での五輪出場を決めるなど快進撃をみせた男子日本代表。そのチームを率いたのが、トム・ホーバスだ。23歳のときに来日し、トヨタで仕事をしながら選手としてプレーをし、2年前には、東京五輪で女子日本代表を銀メダルに導いた。本人や関係者を取材し、人物像に迫ったAERA2022年2月28日号の現代の肖像の全文を掲載する。(肩書や年齢は掲載当時のまま)

【写真】するどい目つきで試合を見守るトム・ホーバス監督

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 スーツに身を包んだ長身のアメリカ人男性が、失望感が漂う観客席に流暢な日本語で叫んだ。

「スタートはよくなかったけど、みんな我慢してください」

 一呼吸を置き、さらに語気を強める。

「間違いなく上手くなります。23年のワールドカップでは、もっといいバスケをお見せします」

 2021年11月末、男子バスケットボールW杯アジア1次予選が仙台で行われ、日本代表はアジアの強豪・中国に63-79、73-106と大差で敗れた。コートサイドで日本を指揮していたのが、東京五輪で女子バスケ日本代表を銀メダルに導き、世界を驚かせたトム・ホーバス(55)。初陣を飾れなかった指揮官はファンに向かって詫びた。

 急ごしらえのチームだった。プロバスケットボールBリーグが開幕中でメンバーが揃わず、合宿期間も実質1週間しかなかった。ホーバスが指導する細かな戦術を理解するには、あまりにも時間が足りなかった。

 代表キャプテンで、日本人初の1億円プレーヤーでもある富樫勇樹(28=千葉ジェッツ)は、合宿期間中ホーバスの戦術の緻密さに驚いた。

「短期間にいくつもの戦術を覚えなければならなかった。こんな経験は初めて。選手全員がこんなに覚えるの!とびっくりしていました」

 だがホーバスは「まだちょっとだけ」で、女子の半分も教えていないという。中国戦の敗因は「うちのファイティングスピリットが足りなかった」。

 女子を銀メダルに導いた名将が、男子代表のHC(ヘッドコーチ=監督)に就任すると発表されたのは、五輪1カ月後の9月下旬。この発表に多くの人が驚いた。女子バスケの監督が、同じ国の男子にスライドするのは世界的にも稀。男子と女子では同じ競技とは言え、戦い方はまるで違う。この起用を決断した日本バスケットボール協会の技術委員長・東野智弥(51)は、男子代表の底上げができるのはホーバスしかいないと踏んだ。

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誰も信じていなかった。クレージーだって