明仁皇太子御成婚が日本の結婚観の大きな転機だった(写真:AP/アフロ)

 現在では少なくなったが、かつてはお見合いが一般的だった日本の結婚。戦後、日本国憲法ができ、周囲の影響力は弱まった。しかし、現代の“恋愛結婚”に至るまでには、さまざまなきっかけが必要だった。家族社会学者である山田昌弘氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。

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戦後の自由結婚

 実質的に結婚というものが変化するのは、1955年頃に始まる高度成長によって、経済構造が変化して以降のことでした。

 1955年頃から企業社会が興隆してサラリーマン化が起き、家業が衰退します。つまり、息子である男性が経済的に親から徐々に自立することによって、親の影響力が低下していくわけです。

 同時に起こったのが、いわゆる都市化です。地域社会が消滅するわけではありませんが、若い人たちが出身地から離れて都市に移住することによって、地域社会の影響力も徐々に低下していきます。

 高度成長期には、恋愛結婚が普及して見合い結婚も変質し始めました。

 明治時代にはすでに、「好き合った者同士が結婚する」というヨーロッパやアメリカの結婚のかたちがあるということは、ある程度知られていました。けれども、当時は恋愛という言葉も普及していなかったわけです。それを実際に見てよくわかっているのは欧米に遊学・留学した一部のエリート・インテリ、小説家や学者などに限られていました。

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山田昌弘

山田昌弘

山田昌弘(やまだ・まさひろ) 1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主な著書に、『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチュアリング』(ともに新曜社)、『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『新平等社会』『ここがおかしい日本の社会保障』(ともに文藝春秋)、『迷走する家族』(有斐閣)、『家族ペット』(文春文庫)、『少子社会日本』(岩波書店)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)などがある。

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戦前には知られていなかった恋愛結婚