「晩春」と同じ年に公開された映画の中では、今井正監督の「青い山脈」も若者の淡い恋愛を描いてヒットしました。主演女優はどちらも原節子です。

 また、恋愛を描いたラジオドラマの「君の名は」がブームとなり、1953年に映画化されて大ヒットしました。

 好き合った者同士の交際や、結婚するかしないかといった個人の事情、そういう類いの映画が戦後に庶民に広く受け入れられたのです。

 そして皇太子殿下(平成の天皇陛下)と正田美智子さん(平成の皇后陛下)の1959年の御成婚は大きな転機をもたらします。結婚前から軽井沢での「テニスコートの恋」と報道され、自分たちでお互いに相手に選び、かつ周りの反対を押し切って結婚したというストーリーが語られて、それが庶民の目にさらされたわけです。

 日本で最も家柄の高い人が自由に結婚相手を選んで恋愛結婚をしたということが、恋愛結婚の普及に一役も二役も買ったことは間違いありません。

 アメリカのテレビドラマを多くの人が見るようになるのもこの頃からです。1953年に放送を開始したテレビが普及するのは、皇太子の御成婚が大きなきっかけでした。それまでは、動画といえば映画しかありません。当時は恋愛をストレートに描くアメリカのドラマもあるにはありましたが、それほど多くはありませんでした。ですが、自由に恋愛したりいろんな障害を乗り越えて結婚したりする男女が生き生きと描かれていて、一般庶民は、それらの生き方を自然にモデルとして受け入れ始めたのです。同時に、日本のテレビドラマも、恋愛が主題になりだします。気にしている同士がなかなか告白できなくて、最後に告白してハッピーエンドというような「ラブストーリー」が、お茶の間に入り込み始める。こうして恋愛をあつかった多くのドラマや映画、そして皇太子の結婚が、「結婚とは恋愛したうえでするものではないか」という社会的意識を醸成したのです(結婚と映画の考察にあたっては、中央大学特別研究の助成を受けた)。

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見合い結婚の変化