1969年、文部省(当時)は高校生の政治活動を禁止するという見解を示した。これに対して、愛知県立旭丘高校の生徒は「文部省見解反対デモ」を行っている。同校の学校史にこんな記述がある。
「……全校集会で、生徒会でもP実行委員会は解散したが、『生徒の総意に基づくデモ実行委員会』が発足し、デモ実施計画が説明されて承認された。この日の午後二時、一〇四八人のデモ参加者は本校を出発し、県庁-栄-久屋公園のコースを全員制服で、四列縦隊で行進した」(『鯱光百年史』1978年)。
1960年の松本深志、1969年の旭丘のケースは、時の政策に反対して政権批判色がきわめて強い。それに比べて2020年前後の浜松開誠館は政権に異議申し立てをするわけではなく、社会に気候危機を広く訴えるという啓発的なものであり、「政治活動」と定義するのは異論があろう。社会運動というほうが、据わりは良い。
しかし、高校生が社会と向き合い、訴え、行動するということで、これら3校に通じるものはある。
なお、「高校生の政治活動禁止」という国の政策は、2015年に廃止された(校内での禁止などの政治活動を制限する項目は残っている)。18歳選挙権の導入、主権者教育の実施などを受け、時代に合わなくなったからだ。
■社会と向き合い「生きる力」を身につける
近年、文部科学省は教育改革を進めるなかで、子どもたちが受け身ではなく、主体的に判断する、言い換えると自分でものを考える=「生きる力」を身につける教育政策を打ち出している。その根拠となったのが、以下の関連審議会の答申である。
「新たな価値を生み出していくために必要な力を身に付け、子供たち一人一人が、予測できない変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、自らの可能性を発揮し、よりよい社会と幸福な人生の創り手となっていけるようにすることが重要である。(略)様々な情報や出来事を受け止め、主体的に判断しながら、自分を社会の中でどのように位置付け、社会をどう描くかを考え、他者と一緒に生き、課題を解決していくための力の育成が社会的な要請となっている」(中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について〈答申〉」2016年12月21日)
浜松開誠館校長の「生徒にとってマーチの参加は、課題を考えて人と協力し、行動する機会になったと思う」との発言は、「生きる力」を身につけさせる国の教育政策にしっかり応えたものである。
浜松開誠館野球部員は「暑くて野球ができない」と訴えデモを行い、気候危機について問題提起した。社会と向き合い、「生きる力」を身につけるために自分で考え、行動する。そんな高校生が甲子園で活躍する。
高校生は勉強のほか、スポーツや文化などの課外活動、そして社会と関わりをもち行動する。浜松開誠館は、高校生が無限の可能性を持っていることを教えてくれた。
(教育ジャーナリスト・小林哲夫)